Y教授のぼやきのコーナー


人生の格言
(研究・人生に行き詰まった方はお読み下さい)

私の教授術
(講義で学生との間に距離できたとお悩みの方はお読み下さい)


2012年10月22日(月)

50回目のマラソン: 昨日、第26回綾照葉樹林マラソンに出ました。記録は全くだめでしたが、50回目のマラソンを完走することができました。丁度20年前の1992年10月25日(39歳)の時、第6回綾照葉樹林マラソンに出たのが、最初のマラソンでした。フルマラソンには12回完走できました。どのマラソンも走る前はどきどきで完走できるか心配です。途中もフルマラソンであれば25km、ハーフであれば15km過ぎから、段々苦しくなってきて、何も考えずに我慢して右足と左足を交互に出し続ける。それでも普段の練習で蓄えがあれば持ちこたえられますが、練習不足の時はほんとうに苦しいです。ゴールしてからまた走ろうと思ったことは一度もありません。マラソン当初は時速13kmぐらいで走れていたものが、今は8kmが精一杯です。それでも、また季節になればエントリーをしています。次は、11月の日南マラソンです。 


2012年3月28日(水)

旭化成アミダス: 延岡で、旭化成アミダスにお世話になって、旭化成関連企業で働いている7名の卒業生と会食をした。2001年に荒金生和さんがお世話になって以来、20名近くの学生がアミダスを通じて旭化成関連企業で働いている。今回、この4月から新たにお世話になる2名の学生の就職祝いを兼ねて、松永次男、川崎智弘、満村洋子、清水春奈、横山佳奈、岡村晃、別府俊徳(敬称略)と私が集まってを夕食をともにした。平日の夕方に多くの方が集まれて有意義な時間だった。愛宕山登山の後に駆けつけた方もいた。この年代より上の年代にも、多くの方が働いている。延岡は宮崎とは違って工場の町の雰囲気がある。世界の景気に左右される企業が多く真剣味を感じる。またの再会を約束して散会した。 


2011年7月9日(土)

ほうきの柄: 7月9日(土)に北九州であった日本化学会行事に参加した。同行事に参加した大学関係者4名と、北九州在住の清水雄一郎君、埼玉在住の宇都宮大悟君で会食をした。大学関係者は九州工大の安藤義人君、長崎大学の本九町卓君、宮崎大学の塩盛弘一郎君でした。電話で、新貝さん、鍋島さん、筒井君、石川君と会話をして、元気な声を聞くことができました。研究室を離れて10年、いろんなことを経験中だなと思いました。こんな集まりが大学の教員の仕事の一つかなとも感じました。使用者(社会)の要求でほうきの先の一本一本は違った動きをするけど、ひとつので繋がっていると感じました。ほうきの柄の消費期限もあと、7年になりました。 


2010年3月23日(火)

春の海: 宮崎の海は美しく暖かで、大学近くの木崎浜・青島には1年中サーフィン族が耐えない。研究室には毎年12月に3年生が研究室配属されて、12月から卒業式までの間は、M2,M1,B4,B3の30名近くが研究室に所属している。卒業式の前日に、4年間の年の離れた学生同士が一同に会して、「思い出の写真撮影の日」をすることになっている。海辺で2003年3月から2004年3月2005年3月2006年3月2007年3月2008年3月2009年3月、2010年3月の記念写真を撮っている。春の陽射しに輝く宮崎の海が、研究室に所属した縦のつながりに作ってくれればいい。今日が2010年3月の撮影会の日です。


2009年3月16日(月)

窒素: 秋になると木々が葉っぱを紅葉させます。これは、太陽光の光量が少なくなり光合成の効率が低下してくると、木々は緑色のクロロフィル(葉緑素)を分解して、入手が難しい窒素原子をその中から取り出して有効活用するためらしいです。周りを取り囲む空気中に80%もの窒素が含まれていても、木々にとって窒素は“希少元素”になっています。人間の社会も、行き交う人も取り巻く人がこんなに多くいても、自分と関係する人はわずかの人です。特に社会へ出ると、痛感します。そんな中で大学の研究室での仲間は、“希少人間”の一部になることでしょう。


2008年12月4日(木)

10人のキャラクター: 今年も3年生の仮配の季節になりました。10名の新しいメンバーが加わりました。この時期に次年度のキャラクターが決められてきて、今までに10人のキャラクターが誕生しました。振り返りますと、2000年に地域共同研究センターから工学部に戻ると、仮配生に「いつも、目をくりくりとして話する子がいて、鳩が豆鉄砲に当たった様な目をしていることから"ハトマメ"と呼び始めたことからキャラクターは始まっています。それを実験器具に結びつけてエバポッポとなり、その年に開設したHPのトップページに図案化されました。それ以来、しんかい魚(2001)、ANNA KONNA(2002)、かしきー犬(2003)、A Sakura(2004), 実験にはまっち(2005)、あかねー(2006)、美しい図:円(2007)、MIO(2008)、二代目Yoko(2009)と10名のキャラクターが登場した。1年間HPを開くたびにキャラクターが表れ、その時の研究室の歴史になっている。選ばれた子は迷惑な話だったかもしれませんが、学生時代の思い出になれば幸いです。


2008年11月29日(土)

U君の急死: クラス担任をしていたU君が11月24日に急死した。彼は、平成13年入学生の中では異色の存在で、思いつかない様なことをよく質問しにきていた。2年の学生実験では、観察結果をデジカメで撮ってレポートに貼り付けていた。カラーフレームのめがねをして写真を撮っている彼を私は「林家ペーパー」と呼んでいた。学年途中で休学し、同級生とは2年遅れで卒業した。卒業後も何回か私を訪れてくれていた。今年の7月の研究室対抗ソフトボール大会にも、わざわざ愛媛県から応援に来ていた。前回に尋ねてくれた時、同級生と撮った写真を渡した時、懐かしんでうれしそうにしていた。葬儀には同級生は誰も参列できなかったが、33名の同級生の連名のご香料をお供えした。ご冥福をお祈りします。

2008年6月7日(土)

絵の鑑賞: 美術館で絵画を退屈しないで鑑賞する方法は、自分が購入するとしたらどの絵にするかと思いながら、見ることらしいです。

 先日開かれた就職ガイダンスで、ある大学関係者から「単位が取れても、社会に巣立つ自信が持てない」という学生が多いことが報告された。誰でも社会に出てうまくやっていく自信がありません。自分の職業を決める、会社を決める事は、大変な事です。どうしたらいいのでしょう。
 美術館で絵を楽しむ要領で、自分が投資家になって会社を買収して社長になるのだったら、または、自分が新商品を開発してもうけるのだったら、どの企業を選ぶか、どんな事業が儲かるか、どんな分野が成長するか、どんな商品が役立つかなどと考えるようになる。
それに加えて、どんなことで自分が社会の役にたてるか。こんなことで、社会にでる不安が解消できればいいのですが。


2008年1月21日(月)

多機能: 一つで何でもできることがトレンドです。携帯電話も電話だけでなく、メール・カメラ・テレビ・改札・会計など何でもできる様になってきている。また、生命科学では皮膚細胞からいろんな臓器になる"万能細胞"が発見され、一躍脚光を集めている。
 先日、センター試験の試験監督をした。最近は時間管理が秒単位になり、信頼される時計が必要となった。手持ちの時計から選んだのは、ストップウオッチ、タイマーなどついた多機能のデジタル時計。しかし、時間合わせなどに手間がかかり融通が利かない。そこで、もう一つ、私が今から36年前の大学受験の頃に使っていた時間表示しかできない単機能の自動巻アナログ時計も持参した。これは、正確さには欠けるが、時間合わせなどが簡単で、時間感覚がつかめて、安心感がある。
 いろんなことができないが、安心して仕事を頼める単機能人間。何でも出来るが、マニュアル的で自己主張があって扱いにくい万能人間。もう数ヶ月で社会に出る学生さんは、どちらを目指しますか


2007年10月11日(木)

20年間のNMR: 昭和63年3月にNMR-AC250が導入されてから約20年、毎日毎日50アンペアの電流を流し、5.87テスラの磁場を出し続けた超伝導マグネットが本日、クエンチされ、その歴史に終止符が打たれました。このNMRは私の研究にどれだけ役立ったか計りしれません。35歳からから今日まで関わってきましたので、私の青春そのものでした。その思い出にふけってみます。

 昭和59年(1984):私が1984年1月に助手として工学部工業化学科に赴任した時、60MHzのプロトン専用機(JEOL JNM-PMX-60SI、永久磁石)と60MHzのカーボン専用機(JEOL JNM -PET-60、電磁石)が霧島町の旧キャンパスの志摩研究室の一角に設置されていた。プロトン専用機は、前年1983年の台風水害で工学部が浸水し、文部省に要求して更新してもらったもので新しかったが、60MHzであった。当時は超伝導-FT-NMRは夢のまた夢であった。
 昭和61年8月(1986):8月に工学部は霧島町から木花キャンパスに移転し、同時に「分析センター」の建物が情報処理センターと同居の形で新営された。また、10月には透過型電子顕微鏡が導入された。
 昭和62年(1987):昭和62年度の補正予算で超伝導NMR(4900万円)が採択された。当時、文部省が全国の大学にNMRを積極的に導入する施策をとっていた。早速、機種選定が行われた。業者が実習中の宮崎医科大学にも訪ねてくる、お盆に学内ヒヤリング(長田勝三郎さん、長谷川事務長)が行われるなど選定作業は加熱していた。JEOL(担当者内田耕次さん)と競争の結果、日製産業(担当者田中収さん)が推薦するBruker AC 250Pに決定された。岩本教授が提案した「マジックアングルスピニング(MAS)法で固体のNMRが取れ、クロスーポーラリゼーション(CP)で固体での炭素核の感度が上がる」ことが決め手となった。全国では珍しいブルカー社の製品であった。
 昭和63年(1988):1988年3月15日に納品され、フランス在住のドイツ人技師BARTHELによって立ち上げ作業が行われた。大阪から到着した液体ヘリウムの中味が空などのトラブルもあったが、立ち上がった。使い方の講習が開催され、ブルカーの恵良田さん・山岸さんにたくさんのことを教えてもらった。また、私が、NMRのメンテナンスおよびブルカーとの連絡役をしていた。その後、私が地域共同研究センターに移ったのを機に、メンテナンスは貝掛勝也技術職員が引き継いでもらった。
 昭和63年3月(1988):木村正雄先生の定年に伴いセンター長が志摩健介先生に交替する。この年の9月に分析センターニュースを創刊する。田辺・福森・保田・事務補佐員(矢野由美子・木原幸恵さん等)で作成する。
 平成4年(1992)〜平成6年(1994):LC-MS平成4年(1992)3月、走査型電子顕微鏡平成5年(1993)10月、X線結晶解析装置 平成6年(1994)2月など、次々と設備が充実していった。
 平成7年(1995)〜平成9年(1998):4月「機器分析センター(二神光次センター長)」として省令施設になる。新棟が建設され、異例の雪の降る中、1998年1月23日今田清久センター長のもと竣工式が行われた。この間、私は地域共同研究センター専任助教授(1994.11 〜2000.2)をしていた。
 平成15年4月(2003)〜18年3月(2006):明石義人センター長が副学長(平成15年9月まで、学長=藤原宏志)に就任したことに伴い、私が機器分析センター長(平成15年4月〜15年9月)になった。その後、大学統合で組織変更が行われ、機器分析センターは、フロンティア科学実験総合センター機器分析木花分室分室長(平成15年10月〜18年3月)になった。その間、何回も設備更新の申請書類を作ったが、学外へ出て行くことはなかった。概算要求がプロジェクト型になり、機器の更新では通らなくなっていた。また、維持費が法人化後なくなり、運営費交付金で賄われることになった。大型設備は設備維持費の関係から概算要求での購入が原則であったが、そのルールが当てはまらなくなった。
 平成18年(2006):平成17年度の財務委員会で自前の資金2000万円を老朽化設備の更新に充当することになった。そこで、全学の設備を調査し、本学の設備マスタープランを作成することになった。平成17年度分は持ち越しとなったが、18年4月にNMRが、産学連携支援センター(4月に改組)の1位となった。その後、財務委員会(平成18年10月25日)で正式に決定された。
 平成19年(2007):平成18年度財務委員会で目的積立5000万円、2年間の更新費4000万円で各部局の1位の老朽化装置の更新が認められた。NMRは約4,000万円(5年間)で5年間リースとして購入されることになり、機種選定作業が田畑産学連携センター機器分析部門長を中心となり進められた。平成19年6月1日開札され、ブルカーに決定した。また、NMRの保守点検を担当していた貝掛勝也技術職員が3月末で宮崎大学を退職し、代わって研究室の修了生の松本朋子技術職員がNMRの保守点検を担当することになった。
 この様に長い間、研究を支えてくれたAC250に感謝したい。


2007年6月22日(金)

靴選び: 職を見つけることは靴探しに似ています。靴の形、ブランド、色などを自分の好みに合わせて選んで、購入しても、履く時には、自分の足を靴に合わせないとフィットしません。就職もそうです。業種、地域、給料などを考えて、会社を選んで入社しても、最後には会社組織に自分があわせるとことになります。こんな毎日、同じ靴を履かなければならいのだったら、もっと履きやすい靴にすれば良かった。こんな毎日同じ会社で働かなければならないのだったら、もっと働きやすい会社にすれば良かった。会社も靴も、一時のファッションではないのです。長い間愛用しなければならないのです。会社選びを、ブランド・地域にこだわりすぎていませんか?


2007年5月12日(土)

足跡: 爽やかな五月の新緑に魅せられて、高千穂峰(1574m いちご・なしと覚えます)に山登りしました。山頂から西中央のパノラマを見た時に達成感があります。また自分が登ってきた道を眺めるにつれ、途中の苦しみはすっかり忘れ、僅か50cm程度の歩幅で右足と左足を交互に進めるだけでこんな高い所まで来たことについての感慨もあります。山登りで付けた足跡は人生につながるものがあります。
 アカデミックにいる者は、論文として足跡を残せます。スポーツ選手も記録が足跡になります。しかし、一般の仕事では足跡を残すことは少ないようです。日記、業務日誌、メモなどで自分の足跡を記録することをお勧めします。私は、入社時に支給された能率ダイアリーを1981年から会社・大学と愛用しており、こまめに書き込んでいます。


2007年4月30日(月)

同門・同窓: 今年の5月連休は県外客が多いように思いました。"そのまんま効果"でしょうか?観光宮崎を代表する青島に、美味しい海鮮丼を食べられるお店があります。目立たない場所にあり、お客さんはほとんど地元の人で観光客らしい人ほとんどいない店です。そこに、連休で遊びに来てくれた卒業生2名と行ってきました。ほかにも温泉にも行き、サービスをしましたが、私の献身的なサービスよりもこの丼が一番でした。
 この二人の他に、この連休に多くの卒業生が尋ねてきてくれました。10名の同門・同窓生に会いました。宮崎を遠く離れたもの同士が集まる場所に、もっと手近な場所があると思いますが、大学時代に過ごした宮崎が良いらしい。仕事の話・将来への悩み・ふるさとへの思い・学生時代の思い出話を、同門同窓生で盛り上がっていました。いつになっても大学時代は青春時代。


2007年2月9日(金)

始末: 今年も卒業の時期が近づいてきました。自分の実験データを整理して、活字にして(論文)、他の人に伝える(発表)4年間で最も充実した時期と思う。しかし、整理が充分でないことも多い。特に、反応時間・後処理に使った溶媒量/種類、スペクトルデータなどの記載漏れが多い。ここでは「自分の行った研究をきちんと整理する"始末の心得"」がないと、手抜きになる。
 始末という言葉は色んな場面で使われる。始末が悪い、始末に負えない(=態度・行儀が悪いこと)。関西では始末を倹約する意味によく使います。「始末して、お金を貯めて子供の学資を作った」などと言います。始末は、「日々の暮らしを無駄なくきっちりとする」意味でしょう。もう少しで社会人ですが、はじめからおわりまでしっかりやりましょう。これらの始末が充分でなかった時は、別の人が"後始末"をすることになります。


2006年11月7日(火)

6年間の反省: 平成12年11月1日に教授に昇任してから丸6年がたった。この間に当研究グループで発表した論文(33報 内オリジナル論文=21報)に基づいて分析を行い、6年間を振り返ってみる。

1. 金属ポルフィリン
A: 合成・物性(6報):ヒドロオキソSbポルフィリン錯体の酸化電位・プロトン解離定数・蛍光量子収率に対する置換基効果について検討を行った。ポルフィリン環上の置換基よりも軸配位子の置換基が大きく影響を与えることが明らかになった。また、ジヒドロオキソ体をアルキルハライドによるアルキル化反応を軸修飾Sbポルフィリン錯体の有効な合成に応用した。さらに、Sbポルフィリン錯体の軸配位子上に「アザクラウンエーテル環」「第二発色=ナフトキシ環・ボロンージピリン発色団」を導入し、スペクトル(蛍光)解析によって、軸配位子からポルフィリン間のエネルギー移動について検討を行った。さらに、酸素性軸配位子に加えて、軸アミノ配位子Sbポルフィリン錯体についても研究を行った。【今後】蛍光スペクトルの量子収率による速度解析の手法は、溶液系だけでは発展性がない。固液相ではどうか。過渡吸収の解析は、新化合物であれば意義がある。
B: 層状物質との相互作用(5報):層状構造を持つカチオン交換性粘土物質へのSbポルフィリン錯体のインターカレーションを研究した。錯体の軸配位子が水酸基の時、有効にインターカレーションすることを見出した。錯体の軸配位子にカチオン性基を導入することで、従来にないインターカレーション機構を達成した。Sbポルフィリン発色団とカチオン交換性層状物質との相互作用を、蛍光・吸収・赤外スペクトルの解析を行った。【今後】実験がしやすい様なので、新しい分野へのシフトには都合のいいテーマであるが、方法は安易な気がする。もう少し静観したい。

2. 可視光触媒
A: 殺菌以外(2+2報):Sbポルフィリン錯体をシリカゲルに担持させた光触媒を調製し、有機塩素化合物の脱塩素化反応について検討した。蛍光灯の照射によって、4-クロロフェノールは塩化物イオンとベンゾキノンに分解した。さらに、流通型反応装置内で、シクロヘキセンの酸化反応を行った。その結果、高いターンオーバー数で酸化反応が起こることを見いだした。この様に、可視光触媒の光反応は、脱塩素化と酸素化に限定されている。現在、ヨウ素イオンの酸化反応に取り組んでいる。
【今後】反応としては酸化反応となるであろう。また、MCR中でのアルケンの酸化反応にもトライしているが、再現性の良いデータが取れない問題がある。また、MCRでは酸素濃度が低くなる問題がある。過酸化水素による酸化がうまくいけば面白い。担体に酸化チタンを使った触媒も開発中であるが、どの様な触媒反応に応用すべきか。水素発生は意味がないのか?

B: 殺菌(1+3報):シリカゲルに担持SbTPP光触媒を大腸菌などの微生物(大腸菌・緑膿菌・酵素)の光殺菌への応用について研究を行った。また、噴水・クーリングタワー等に繁殖するレジオネラ属菌について、可視光触媒を用いて光殺菌実証実験を行った。
【今後】魚類関連微生物などの他の分野への発展の可能性があるが、そこまで踏み出すことが出来るかが心配である。

3. 微小領域の光化学(ミセル・マイクロビーズ・ベシクル): 
A: ミセル(2報):界面活性剤SDSと水によって構成されるミセル中で、テトラアセチルリボフラビンの光増感剤としての能力を確かめた。ベンジルアルコール類のベンズアルデヒド類への光酸化反応において、従来から研究されているアセトニトリル中よりもSDSミセル中では増感効率が高まることを見出した。また、キノンメチド活性種を光化学的に効率よく発生する方法について、ミセル中で検討を行い、特異的なミセル効果を見いだした。【今後】水系の光反応として興味深いが、扱う物質をどのように選ぶかが鍵となる。また、ミセル効果には可溶化の効果(一次効果)と特異効果があり、見極めが必要。
B: マイクロビーズ(1報):シリカゲルマイクロビーズにSbポルフィリン発色団を共有結合で固定化し、マイクロ流路内で光反応を行い、微小流域での脱メタル化反応に成功した。これを「光機能性マイクロビーズ」の研究と位置づけた。【今後】マイクロビーズにどの様な機能を持たせるか?千田さんが社会人入学をしたこともあり、早く方向性を出すことが必要。
C: ベシクル:光重合性二本鎖両親媒性物質によるベシクル作成および光反応について検討した。また、重合性基をもたない両親媒性物質との混合による相分離についても検討した。【今後】GV(Giant Vesicle)の成果を早くまとめること。微小領域光反応を行う方法として、マイクロチャンネル反応器(MCR)がある。どんな反応に適応するか?しばらく試行錯誤が続きそうである。


4. 合成化学的光反応
A: 光アミノ化反応(2報):近紫外部に弱い吸収しか持たないシクロプロパン・クワドリシクラン・単純アルケンなどの反応基質について、アンモニアによる光アミノ化反応をトリフェニルベンゼン増感剤とするレッドクス光増感反応によって達成した。【今後】バッチ式での光アミノ化反応で論文にすることは少ないと思われる。今後はMCRでの反応にシフトしていく。しかし、MCRの反応は熟練がいるので、研究速度が遅い。また、新現象が出ないかもしれない。

まとめ: 
・研究室の平均学生数(B4=10、M1-2=6、D1-3=1;合計17名)から判断すると1研究テーマ3名で、5〜6テーマが最適と言える。
・その中で、「種から芽を出す研究」、「芽を育てる研究」、「大きな収穫のある研究」のバランスをとりながら
進める。
形のある物にしていく努力を怠らない。


2006年8月30日(水)

風よけ: マラソンのテレビ中継を見ていると、ゴール近くになり数名のランナーが集団から抜け出し、トップランナーを先頭に隊列をなしてゴールを目指す風景を見ます。何としても一番になりたいとお互いが駆け引きをしながら必死に競争する感動的な場面です。また、経験豊富なランナーはトップランナーの後ろのつけ、トップを虎視眈々とねらい、若いトップランナーがいつまで持つのかハラハラする場面もあります。一般市民のマラソンでは風を意識しませんが、高速マラソンでは、風の抵抗が体力の消耗に影響を与えます。オートレースや自転車レースでは、風の効果を公平にするために、風よけ車が先導して競技をおこなうことがあります。マラソンでもタイムアタックの場合はペースメーカーを先頭において競技が行われます。
 一方、一般社会でも最近物事が速く進み、短期で成果を求められるようになり、社会が高速化しました。また、流れに乗れない人が出てきます。マラソンに例えると団子状態から先頭から最後尾までが長くなった隊列状態になります。この状態を社会では格差社会と呼んでいます。大学でも物事が高速化されています。大学の動きについて行ける人とそうでない人の格差が生まれています。トップでもなく最後尾でもなくマイペースで中盤をキープしてゴールしたいと思う"ランナー"にとっては、どんなレーススタイルであっても影響が少ないと思われますが、トップ集団では色んな現象が出てきます。大学の運営や予算獲得にはアイデアや企画案を最初の手がける人がいます。この人の案で物事が進んでいきます。この時点では他の関係者はあまり口出しをしませんが、最終局面になって企画案の欠陥を指摘して2−3番手の意見が反映されて決着する現象が多々あります。つまりトップランナーは風よけに使われたことになります。そこで、「最後に手柄をさらわれるくらいなら、最初から先頭に立たない方がいい」と考えるか、「自分の意見がもとになったのだからいい」と考えるか。しかし、トップランナーを大事にするシステムにしないと"アイデアややる気"が出ない社会になります。マラソンも2時間5分に近づく高速になったことから、「30km以降、10位以上の選手は他の選手を風よけに使ってはいけない」とするルールが出来てもいいと思う。
 学生諸君、多くの社会はこの様な構図になっていますので、社会人になっても腐ることなく自分の意見・アイデアが会社に役立つようなチャレンジを定年まで継続して下さい。神様が見ています。


2006年7月3日(月)

漢字の勉強: 日常的に使っているのに、どちらか分からなくなる漢字が多々あります。訪問or訪門:訪ねていく時は門を通るのではないか??? 専門or専問:もっぱら(専ら)問うても良いのでは? 戈と弋の使い分け:式・武・域の右側を書く時迷いが出てきます。眠・眼の左側が目or日?眠るは"日"と長らく思っていました。「爪(つめ)に爪なし瓜(うり)に爪有り」と親父に教えられた記憶があるが、つめとは最後の"ヽ" のことで"―"の事ではないと思っていた。瓜から"ヽ"を取った字が"つめ"と思っていた。私が勤めていた会社では廃液タンクに"やまいだれ(病垂)で書いた廃液タンクが"たくさんあった。昔、吉の上が士ではなく土で書く"よし田"さんが居たような気がするが幻か? 
 さて、来年四月から日本の大学では"助教授"が"准教授"に名称が変わります。準・准は"つぐ"の意味で、前者は準決勝などに使われます。しかし、十が付くか付かないか?“さんずい(シ)”か“にすい(冫)”の違いは分かりません。"准教授"を"淮教授"と間違えそうです。しかし、もっと間違えて"隼教授(はやぶさ教授)・隹教授(ふるとり教授)"では、鳥の様にどこかへ飛んでいってしまう様で困ります。また、唯教授(ただの教授)でももっと困ります。


2006年4月24日(月)

つま楊枝で混ぜる: 昨年の10月に副学部長になって半年、この間の最大の懸案は大学院改組でした。顔の見えない気心も知らない農学部・工学部教員130名の大所帯を動かして、3月までに計画をつくることでした、
 まるで、つま楊枝(ようじ)でコーヒーのミルクをかき混ぜる様な気分でした。しかし、つま楊枝でも混ぜ続けると、コーヒーとミルクは案外混ざります。一般に、液体をかき混ぜると、遠心力で液体は外に向かって発散します。しかし、器に入っている液体では、遠心力で外に向かった液体が壁にぶつかり外側で高くなり、液量の少なくなった中心が低くなるので、液体は中心に向かって戻ってきます。つまり、閉じた器の中での小さな回転運動は求心力を生み出します。
 個人(小さな棒)で組織(コーヒー)を動かすには、いつも動いていることです。「進捗状況を週単位でメール配信する」・「事務方から依頼されたことはすぐに回答する」・「キーマンの意見をこまめに聞く」。大きな力を一時に集中しても、大勢を動かすのは難しい。小さな力をいつも動かしていることは結果として大きな仕事につながります。また、「この仕事は彼がやった」という評価につながります。
 同じことは、研究室の実験・行事にも当てはまります。追い込まれて何日も徹夜してもたかがしれています。少ない時間と労力でも毎日続けることが大きな仕事と自信に繋がります。皆さんには、最近、継続が足りない様な気がします。


2006年1月4日(水)

限界: 昨年の12月に11回目のフルマラソンをしました。しかし、残念なことに、34kmで門限になり完走できませんでした。30k付近からいくら頑張ろうとしても、気力体力の限界が来ました。何でも8分目の頑張りと2割の余裕がないと乗り切りないことを実感しました。折角、研究室の方および東京から参加してくれたランナーがゴールで待っていてくれましたが、期待に添えず残念な想いをしました。今まであまり限界を感じたことはなく余裕を持って物事をこなしていると思っていましたが、日常の訓練がなければ、限界がくることが分かりました。研究室の皆さんもこれら追い込みの時期に入りますが、8分の力で余裕を持って乗り切って下さい。そのためには日頃の訓練が大切です。


2005年11月9日(水)

ポインセチア: 昨年の12月に新仮配生(3年生)を迎えて忘年会があった。帰り道、赤と緑色がクリスマス気分にさせてくれるポインセチアを、酒の勢いで買い求めた。例年クリスマスのために買っても正月の頃には葉が落ちて部屋に置くにはみすぼらしくなり過ぎ、結局、屋外に出して枯らしてしまうのが常だった。ポインセチアはメキシコの乾燥地帯が原産で、水を多く与えず日光の当たる場所で育てるのがいいと聞いた。そこで、研究室の窓辺に置いて、水はほとんどやらず葉がしおれ始めてから与えた。その冬を持ち堪え春夏秋と過ぎ、もうすぐ1年間、青い葉を茂らせている。

 さて、ポインセチアとともに研究室へやってきた仮配生(現4年生)も、卒業研究の終盤になってきた。学生に対する“水やり”は、ポインセチア同様にしおれかけた時(さぼりかけた時)に注意をするくらいで、1年が過ぎ、大変申し訳なく思っている。特に10月に副学部長になってからは冗談を言う時間もなくなった。

しかし、考え方を変えれば、学生が困ってから初めて対応する教育も良いのかもしれない。要求もないのに学生に次から次に指示をする(水をやる)のは、“根腐れ”を起こし学生の自主性をなくすことになるのかもしれない。今年の忘年会にはどんなポインセチアが研究室に来てくれるのかな。


2005年9月28日(水)

ネクタイ: 先日、Roth教授(Rutgers University 米国)が来学されて4日間宮崎で過ごされた。先生はネクタイに背広の礼儀正しい服装をされる方でしたが、9月の宮崎は暑いので、研究室に滞在中はノーネクタイで過ごされていた。しかし、毎回食事に出かける時は、「ネクタイ着用した方が良いか」と私に確かめられていた。「暑いのでしなくても良いです」とお答えしていた。ところが、3日目の昼食は私の自宅で取って頂くことになった。自宅で記念写真を撮ろうとしたところ、胸元を手で隠しネクタイをしていないことを恥ずかしそうにしていた。この時、ネクタイの意味の重要性を感じた。
 今夏は、ノーネクタイのスタイルが"クールビズ(cool business)"として流行した。首相自らがPRをしたので、首相派がクールビズ、反小泉派はネクタイ着用と国会議員は二分された。
 大学でもクールビズが推奨され、夏季にネクタイを常時着用しているのは私ぐらいかもしれない。私の前任の志摩健介先生は、在籍中29年間ネクタイを着用されていて、ノーネクタイで過ごされたことはなかった。私の場合、自宅ではジョギングスタイルの楽な服装をしているので、ネクタイを着用して初めて仕事をしているという気分になる。自分自身の心構えを仕事モードと普段モードの切り替えにネクタイを利用している様な所がある。
 しかし、Roth教授のネクタイ着用は自分自身のためではなく、他人への礼儀作法としてネクタイを着用・非着用の判断をされていた。一般には、人に会う時はカッターシャツにネクタイでも非礼であり、背広にネクタイが正式であるとされている。Roth教授のネクタイに対するこだわりが、単なる慣習ではなくヨーロッパの歴史も感じさせる一幕であった。
PHOTO Prof. ROTH in MIYAZAKI[PDF:217KB]



2005年7月15日(金)

本当のコミュニケーション力: 本学では、就職での自己PR対策およびJABEEの教育目標の関係から、学生に盛んにコミュニケーション能力・プレゼンテーション能力を身につけることを要求しています。講義でのでのコミュニケーション能力とは「理解した事を他人に分かる分かりやすく伝える」手法・能力としています。つまり、自分の良い面を前面に出す方法について鍛錬していることになります。

 しかし、ほんとうのコミュニケーション力とはなんでしょう? 実際に会社で働いたり・研究室で実験をする上では、「自分には出来ないこと・理解できなかった事・失敗したことを仲間・上司に伝える勇気」を養う訓練も重要であると思います。勉強とは、「分かっていることと分からないことを分ける作業である」と言われています。「ここまでは理解できたが、ここは分からない」「ここまでは出来るが、ここからは今の実力では無理です」と判断することが必要です。今の子は良い子だけど、何を考えているか分からないと言われます。自分を本当に理解してもらうには、良い面を前面に出すのではなく、劣っていること・出来ないことを打ち明けることに抵抗がないようにすべきである。その方が、本当の実力が分かってもらえて信頼性が増します。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言うように、分からないこと・出来ないことを他人に伝えて、解決する手法を他人から引き出す力は一生の宝になります。

 背伸びして、いつも成功をばかり追わなくても良い。イチローでも6割以上が打ちし損じている。研究室を、"いいっこぶり・知ったかぶり"をする場ではなく"失敗を話す訓練の場"にしましょう。


2005年5月22日(日)

23分差: 私の次男は幼稚園からサッカーをしており、うまくはないが小学6年の時、全国少年サッカーの宮崎県代表で全国大会へ行った。そのチームメイトに増田誓志君(学園木花台小学校4年生)がいた。増田君はその後、サッカーの鍛錬を積み、現在鹿島アントラーズのMFとして活躍している。時は今年の5月8日(日)。前日までにJ1リーグ通算に9992ゴールとなっており、10000をたたき出すのは誰かと注目されていた。当日、ガンバのアラウージョ(ガンバ大阪)の9993ゴールが14:389994(14:43), 9995(15:01), 9996(15:08), そして増田選手のゴールはJ1通算9997ゴールで 15:10 9998(15:12), 9999(15:28), 前田選手(ガンバ)の10000ゴールは15:33でした。増田君はわずか23分差でメモリアルゴールを逃したことになります。その日は合計17ゴールが生まれ10009ゴールに達しました。増田君はJリーグが始まった1993年に小学2年生で木花少年サッカー団でサッカーを始めました。それから13年。メモリアルデーの5月8日は14時から18時までの3時間に9試合も行われたので、メモリアルゴールになるのは、宝くじに当たる様なものだと思うが、その場面にJリーガーとしてピッチに立って、さらに同日にゴールをしたのは立派。これはひとえに本人の努力によるものと思う。今後も活躍してもらいたい。


2005年5月5日(木)

単位: 大学・高専・高校の授業・講義時間は単位で数えられます。高校では50分(1時間と見なす)の授業を35回で1単位となります。高専では50分(1時間と見なす)授業を30回で1単位と言います。大学では90分(2時間と見なす)の授業を15回行う講義を2単位といいます。一単位を時間で比較すると、高校の1単位は35時間(正確には29時間10分)、高専では30時間(正確には25時間)、大学では15時間(正確には11時間15分)です。大学の講義は高校・高専の授業に比べて、時間当たりおよそ2倍強の単位に相当します。これは、大学生には、授業時間以外で講義時間と同じ時間の復習・予習をすることが義務づけられているためです。
 もう少し見方を変えて、単位ついて考えてみよう。角度の単位は360度。360という数は、1、2、3、4、5、6、8、9、10、12、13、15、18、20、24、30、36、40、60、72、90、120、180、360と24個の約数を持つので、様々な正多角形を描いたり、方位などを考える場合に、端数が出なくて便利だから360の値を採用しているそうです。時刻の単位では、1年は12月、1日は24時間、1時間は60分の十二進法です。12は1、2、3、4、6、12と6個の約数を持っています。24は1、2、3、4、6、8、12, 24の8個、60は1、2、3、4、5、6、10、12、15、20、30、60と12個の約数を持っており分割が便利です。一方、お金の単位は10を基本とする十進法で表します。約数は1、2、5, 10の4個であり、分割しにくい値です。角度および時刻は桁が繰り上がることがないのに対して、お金は無限に増大する値で、桁が繰り上がって行く値です。元々割り勘をしやすいようになっていません。昔イギリスでは1シリングが12ペンスであった様に、もしお金が十二進法で出来ておれば、千円が1200単位になり、2人、3人、4人、6人で割り勘する時、桁をまたがらずに各桁で割り勘が出来便利です。
 さて、話を講義の単位に戻しましょう。宮崎大学学務規則では「講義については15時間から30時間までの範囲で各学部の定める時間をもって1単位とする」となっています。また、JABEEでは2単位分の講義時間を30時間と数えずに22.5時間と計算し、4年間で1800時間以上の学習時間を規定しています。そこで、現状の大学生の学習量から考えて、講義の単位をどの様に設定すれば良いのか?
 「90分の講義を12回=18時間で1単位」としてはどうか?1年を分割してスケジュールを組むのであれば、12回がベストと思います。現在より18/15=1.2倍の講義数を受けないと大学を卒業できない事になります。現在、卒業研究は8単位であるが、本学科のJABEEでは400時間割り付けています。1単位18時間で計算すると22.2単位相当になります。卒業研究は20単位が妥当ではないかと思われます。そうすると本学の卒業要件の128単位では卒論以外で108単位(煩悩の数と同じ)=108科目受講することになります。
 一方、現在の二学期制で1〜3年生の前後期の時間割で用意できるコマ数は120コマであり、学期の途中に休暇を入れない今のシステムは、かなりタイトなスケジュールとなっています。そこで、各学期12回の三学期性にしてはどうか?春学期4月〜6月(今年のカレンダーで木曜日をみると、4/7〜6/30)、夏期休暇(7/1〜8/31)、秋学期9月〜11月(9/1〜11/30)、冬学期12月〜2月(12/1〜2/23)。
 明日から、プロ野球では交流試合が始まります。大学も、昔のやり方で学生さんをリードしていくことも重要ですが、今の学生にあったことを考えていくことも重要ではないでしょうか。(今回は、長い文章を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。松平定知アナウンサー風


2005年3月14日(月)

縁の下の力持ち: 卒業を前にせっせとデジカメ写真をパソコンで編集する女子学生がいた。大学院へ残る彼女から卒業する同級生へのプレゼントのためだろう。多くの学生は、卒研発表と卒業式の間を利用して卒業旅行や帰省で研究室を留守にしている間に、作業をする姿が健気です。
 昔から一人でお絵かきや積み木などで"一人遊び"を続けられる幼児は、将来伸びると言われています。自分の世界を作れて孤独感が少ないのでしょう。普段の専門の成績が低空飛行の彼女が、将来は高校の先生になりたいと、教職科目を勉強している。人知れず、工夫しながら、悩みながら、地道な“縁の下の力持ち”になれる子は、思いは叶うかもしれません。
 アルバムをもらった同級生は感謝しましょう。また、私は、卒業生にとってアルバムとして残したいと思う研究室であったことに感謝したい。


2005年2月14日(月)

ほめる人、けなす人: ほめたり・けなしたりした学生も、もうすぐ卒業の季節となりました。誉めるのは難しくエネルギーのいることです。特に、親しくなればなるほど、利害が出てくるほど、誉めにくく、つい小言・苦言・注意・叱咤などが多くなります。自分の子供ならなおさらで、めったに誉めません。また、親しい間柄なら、自分の意図が充分に伝わっているとの錯覚から余計に小言が多くなります。反対に、疎遠な人・利害のない人ほど "おべんちゃら(お世辞)" で誉めます。
 今年度、本学科は二つの評価(JABEE本審査と外部評価)を受けました。良い所・悪い所が半々ぐらい指摘されました。評価の基準を何にするかが問題です。他人との比較・自身での良い面と劣る面の比較・以前と現在の比較などで評価されるのでしょう。どんなことでも良いところ3つ、悪いところ3つぐらいはあります。しかし、案外、力を入れたところが評価させず、些細なことが評価され、拍子抜けすることがあります。"努力したところ・力を入れたところを"を正当に評価して貰えるのが一番の喜びです。「分かって欲しいことを分かって貰えない。」と思うことが多々あります。誉めるにも"ツボ"があります。全体を誉めるより、一点を誉める方が効果的だと思います。
 社会へ出ると、誉めたり、叱らってくれる人が少なくなります。その中で、叱ってくれる人は大事にしたい貴重な存在です。「叱って欲しくなったら、戻ってきなさい。」


2004年12月10日(金)

就職の極意 今年もまた、就職活動の時期が迫ってきた。研究室の学生もインターネットで就職活動を始めた。私も30年ほど前、就職活動をした。就職活動を行った昭和52年はオイルショックで就職先が激減していた。チャレンジした企業等を思い出してみると、富士フイルム(奨学金)、塩野義製薬、東洋アルミ、三星ベルト・スガイ化学・兵庫県庁・和歌山県教職・毎日新聞。「♪♪サチコ:幸せを数えたら片手で足る。不幸せ、数えたら両手で足りない♪♪」の様に、「片手で足りない、両手で余る」ほどチャレンジした。全敗であった。結局、就職できたのは、博士後期課程に進学し3年後の上野製薬であった。そこも3年の足らずの在籍で、30歳で現在の大学へ転職した。今から思えば、就職に対しての実感がなかった。農家の長男として生まれ、実家をどうするかという責任感だけにに付きまとわれていた。

 そこで、学生に対する就職のアドバイス。

極意1:長い人生設計を考えない。色んな事を考えて人生設計を建てても、思うようにはならない。「自分も病気になるかもしれない・家族もいつも無事とは限らない・会社がいつまで存続するか分からない・裏山が崩れて家がなくなるかもしれない」。人生もマラソンも目線が大事。ゴールばかり夢見ると疲れる。足下ばかり見ていると方向が分からなくなる。ちょっと先、マラソンで言うなら前のランナーのおしりの当たり、人生では2−3年後を考えてみる。

極意2:自分を過少評価しないこと。人と比べれば、大したことないかもしれないが、「高校受験の時もそこそこ頑張った・高校も毎日さぼらずに通学した・大学受験も自分なりに勉強した・大学の講義も理解できない所もあるが単位はとれた・英語は出来ないと言われるが、横文字を見れば英語かフランス語かぐらいの区別がつく・SN1もSN2の判定も確率50%超で当てられる」。

極意3:自分が食べるためだけの仕事を選ばない。家族のため・他人のため・世界のためになっていると実感できる仕事ほど長続きする。就職をなぜするか?誰かのまたは自分に役に立つから。どんなものでも、棒切れでも何かの役に立つ。役に立たない人間はいない。

極意4:望んで行くより望まれて行け。これは昔から嫁さんに行く人に言う格言で、好きな人と一緒になるのも良いが、相手および相手の家族が好いてくれる人と結婚するのが後々家庭安泰になるということ。インターネットで自分に合いそうな企業を選ぶのも良いが、大学に求人がきている企業は本学の学生を望んでいるのだから。


2004年10月8日(金)

痛いの痛いの飛んでいけー 今年は10月になっても一向に涼しくならない。一方、マラソン大会も近くなり、長い距離の練習も必要になってきた。それで、大学近くの加江田渓谷の木陰の道を走ることにした。渓谷沿い登山道は小石が多く、走りづらい。しかし、意外に足下に注意しながら走っていると、疲れを感じない。小石をよけることに注意が行って、本来ジョギングの疲れや苦しさが軽減されているのであろう。

 幼児が、打ち身で痛がっているとき、患部をさすりながら、「痛いの痛いの飛んでいけー」と呪文を唱えると、泣きやむことがある。医学的には、さすることで患部から脳への刺激量が多くなり、脳が刺激の伝達を制限するために、本来の痛みが和らぐためだと言われている。

大学は今、申請・報告・評価などの書き物が多く、ほとんどの教員はこれに追われている。私も例外でなく、JABEE本審査、外部評価、科研費、地域コンソ、自然共生エネルギー研究センターなど多くの業務を抱え込んでいる。色んな業務が飛び込んでくると、本来の仕事(論文書き)に支障をきたす様にも思えるが、実際は“脳が活性化され、やる気”が出て来るようにも思える。多くの仕事を抱え込むと本来のしんどさが麻痺し、本来の業務も捗るのかもしれないである。「忙しいの忙しいの飛んでいけー」。仕事は楽しみながらやりたいものです。


2004年8月13日(金)

人生観が変わる外国一人旅とマラソン 7月後半にグラナダ(スペイン)の国際会議に出席しました。95年以来の海外出張でした。同学会には80人近くの日本人参加者がいたのに、私と同じルートの人は誰もおらず、往復一人旅でした。言葉(スペイン語)・地理的に不慣れで、何回か立ち往生しましたが、"場所が変わってもやり方が変わらないだろう"と"自分の勘"で何とか切り抜けました。国際会議でのオーラル発表は今回で3回目。12分40秒を原稿どおり、やり通しました。終了後、恩師の朴先生から握手を求められたので、そこそこの出来映えだったと思っている。前日あった一つ先輩の真嶋教授(阪大産研)の60分PL講演が素晴らしかったので、負けてはいられないと思ったのが功を奏したのかもしれない。
 学生さんには、人生に生き詰まったら、"外国一人旅"をお勧めします。一人旅が重要です。航空券20万円+滞在費一日1万円(ホテル代込み)+その他費用=40万円(10日間)がお金の目安でしょう。お金がないけど、どうしても国内で人生観を変えたい人は"マラソン"がお勧めです。6時間足らずの短い時間でお金をかけずにすみます。最っとも大きく人生観を変えたい人は、一人で海外のマラソン大会に出場することです。
 私の旅の様子に興味のある人は、下記のボタンをクリックして下さい。
Granada.pdf へのリンク[PDF:1.06MB]


2004年6月1日(火)

宮崎のハルウララ昨日、21世紀COEの合否発表があり残念ながら宮崎大学は落選しました。大学は今、外部資金の獲得が求められおり大学教員は研究資金獲得に大変です。19名の学生が在籍する当研究室で学生一人がもし20万円の研究費を使ったら年間380万円の研究費が必要です。しかし、文部科学省からの運営交付金から研究室に配分される金額は半分以下です。そこで、提案公募型の研究費(外部資金)に応募して研究費を獲得する必要があるのです。しかし、すべてが当たるわけではなく、はずれる(不合格)ことの方が多いです。あまり当たらないと元気が出ません。そこで、何か楽しみを持つことにしました。高知競馬のハルウララを見習って100敗を目指して応募し続け、“宮崎のハルウララ”と呼ばれる様になろうと思っています。
 学生さんには、卒研・修士論文研究の蔭で、このような地道な活動があることも知ってもらうことが必要です。ビーカー(単価数千円)・フラスコ(単価数万円)を気楽に破損しないように心がけてほしいと思います。「モノを大事にすることは、人を大事にすることであり、自分を大事にすることにつながります。」

参考として、私が教授になっての2001年からの提案公募型に応募した実績は下記の通りです。文部科学省科学研究費1勝5敗、文部科学省21世紀COE3敗、経済産業省地域新生コンソーシアム2敗1未定、科学技術振興技術団CREST1敗、その他の文部科学省予算1勝2敗、K-RIPプロジェクト1勝、宮崎県関係の予算1勝、通算16戦4勝12敗1未定で勝率2割5分です。


2004年3月10日(水)

ネコの気持ち 家に10年間生活を共にしているネコがいる。テレビを見て寝ころんでいるとき、布団に入っているとき近寄ってくる。風呂に入ろうとすると風呂ブタの上で寝て待っている。ネコは何を目的で近寄ってくるのか? 「暖をとる目的で(直接的)、餌・外出をおねだりする目的(間接的)で、ただ何となく(付随的)」。学生の研究室選びにも通じる。「研究目的(直接的)で、就職・進学と関連づけて(間接的)、研究室の雰囲気(付随的)で。」
 さて、ネコは餌はもらえて、昼間は日向で寝ていて、仕事と言えば段ボール箱や柱で爪を研ぐぐらいで一件気楽そうに見えるが、最も大事な事は居心地が良いことであろう。学生にとっても同じで、研究室は居心地が良いことが一番だと思う。しかし居心地が良いことが「朝は出来るだけ早く行って実験をしよう。夜は出来るだけ遅くまで残って実験をしよう。」という気持ちにつながらない所が中途半端で、研究室を社交の場、一種の部活の様な感覚で捉えている様にも思える。
 3月は研究室の入れ替えの季節です。2月に修論卒論が終わって3月から新しいメンバーでの研究が本格化します。研究室は研究活動を通して居心地のいい場所にして欲しい。


2004年1月16日(金)

4名時代へ: 当研究室は志摩先生の時代から数えると今年で34年目になる。志摩先生の時代の29年間に女子学生は14名だったが、2000年以降の5年間で既に15名の女子学生が在籍している。特に今年は4名が仮配属されてきた。いよいよ4名時代になった。
 女性・男性で学生を見るのは時節柄良くないと思うが、それぞれの特徴を知っておくのは重要と思う。私の女子学生に対する勉学・研究に印象は次の様である。「実験で収率などが前の実験と異なると気にする。」「少し手順が違っただけで報告に来る。」「困ったときは一人で考えず、数名のグループで相談する。」「実験の段取りがよい(男子に比べると、予見・予知能力に長けている)」「立体的・平面的な把握が不得意。(例えば、有機化学の立体化学のR・S配置の理解が女子学生の方が一般に遅い)。」

 当研究室の女子学生さん、自分の特徴を生かして、社会の役に立ってください。研究では、博士、ひいては本学科初の女性教授の誕生も視野に入れて、夢を大きく持って頑張って欲しい。

【参考資料】当研究室に於ける女子学生数の推移:1名(`78年)、189)、191)、293)、294)、195)、296)、397)、198)、200)、301)、302)、303)、404)。 全女子学生在籍者数29名、全在籍者(男子+女子)に対する割合=29÷26011.2


2003年10月17日(金)

見た目と中身: 最近の学生さんは茶髪・ピアス・タメ語など、風貌・態度からは中身(実力)がわかり難くなっている。学科の会議等で講義や学生の話になると、いつも「今年の○年(私が担任をしている平成13年入学生)は・・・・・・」という話題が必ず出る。その度に肩身の狭い想いをしているが、私自身も講義・成績に関しては見た目と中身は一致していると思っている。

 9月に4日間、関西へ工業見学に31名の3年生と行って来た。一日に3箇所を見学するハードスケジュールであった。平素の講義態度から類推して、「朝の集合時間に遅れる者がいて、日程が狂うのではないか」と危惧していた。しかし、4日間集合時間に遅れる学生は誰一人もいなかった。3年生には「工場見学および工場実習は就職活動のウォーミングアップだ」と話をしていた。現場を見ることで職業観・社会観を育んで欲しいと思っていた。学生の意識が就職を前に変わったのか?そうであれば、良いが。
 この学年には、資格を取ろうと勉強したり、公務員講座で勉強している学生が多い。ひょっとして、この学年の学生は、講義や成績はパッとしないが、人生観・人生設計ではしっかり考えているのではないかと感じた。[卒業後、大化けするのではないか?」とも思われる。
しかし、大化けするにも日頃の努力が必要だという事にいつ気づくのだろうか?30歳を過ぎてから気づいても遅いのに。


2003年9月12日(金)

手を使うサッカー:  手を使うサッカーは面白いだろうか? ボールを手を使わずに足・頭などでゴールに運ぶスポーツがサッカーである。相手のゴールにボールを入れるためだったら、どんな方法を使っても良いのであれば、面白くない。
 8月末に北九州市であった「環境クラスター大学」のお手伝いに行っていた。マサキエンベック社長真崎氏の講演において、「昔、近江商人が、商売は、”売り手よし・買い手よし・世間よしの三方よし”が基本である」ことを紹介された。
麻薬・銃の売買は、売り手と買い手には”よし”かもしれないが、”世間よし”とはならないのである。売れれば、何でも良いではダメで、社会的なルールに従った商売が重要であることを解説された。

 研究も同じである。自分が満足できる(売り手よし)、指導者が満足できる(買い手よし)がもちろんであるが、学会でも認められる(世間よし)でなければならない。「自己満足、研究室満足」の研究に陥らないかをセルフチェックしなければならない。
 学生さんの場合、「実験データが出て卒論が書けて卒業されできれば、朝は適当な時間に来ればよい、木曜日の掃除に遅れてもよい、ミーティング遅れてもよい、発表しなくてもよい」では世間よしにはならない。実験(卒研)をするにもルールがある。
卒論・修論の後半戦、こんなことを考えながら実験をして欲しい。


2003年6月10日(火)

継続。目指せ100:  「継続は力なり」という様に、一つのことをコツコツと積み重ねることは大事です。しかし、「どこまでを目標にやれば良いのか?」と疑問が湧いてきます。目標の設定として”100”が適当と思います。、千、万となると目標が大きすぎて具体性がなく、「うそ八百。」「白髪千畳。」「千里眼」などのように”単に大きい”を示す代名詞になってしまいます。また、10、20では安易過ぎます。古くから「読書百篇、意自ずと通ず」と言うように「百」は”努力の目標”となって来ました。プロ野球の世界でも、野茂大リーグ100勝、イチロー大リーグ盗塁100個などが節目の数字となっています。月に一回のペースで10年で約100回、一生続けて約1000回になります。達成が容易な数字ではありません。
 私は、「危険物試験の事前講習会」を平成5年から担当して、今年で10年になり講義回数が76回になりました。後、24回で100回になります。また、20年間行ってきた”光アミノ化反応”の反応基質が100個を超えました。大学に勤めておれば、論文数が気になります。100報にはまだ手が届きませんが、もうひと頑張りです。
 皆さんも、些細なことでも良いから”100”を目指しましょう。


2003年3月5日(水)

2002年度の総決算:  1981年に私が大学を卒業して入社した会社で、スケジュール帳(能率ダイアリー)を配布され、業務日誌をつけるように言われた。それ以来、スケジュール帳を持ち歩くことが癖になった。毎年、年末になると翌年の新しいものを買っていた。しかし、大学は4月に始まり3月に終わるのに、スケジュール帳は1月に始まり12月に終わるので不便を感じていた。最近ようやく、年度始まりのものがあると分かり、今年から4月始まりのものを愛用することになった。同じように、1年間の反省を12月に行っていたが、卒論・修論の真っ只中の12月よりも区切り・節目の3月に行う方がいいと思い。今年は、3月に行うことにした。
 1)松本仁さん着任: 志摩先生退官以来、白上さんと二人だった研究室スタッフに1月から松本さんが助手として北海道大学から着任された。
 2)研究費: 文部省科学研究費特定領域研究「光機能機能界面の学理と技術」(代表者 藤島昭 東京大学教授)に採択された。また、九州地域環境リサイクル産業交流プラザ(KーRIP)プロジェクトにも採択された。いずれも、白上助教授の「シリカゲル担持金属ポルフィリン触媒」の研究であり、新聞に取り上げられ、実用化を目指した研究が始まった。
 3)設備: 昨年度末に文部省に要求していた「理工系高度化設備費」が採択され、「共焦点レーザー顕微鏡」を核とする「微少領域生体現象観測システム」の導入が決まった。
 4)執筆: 実験化学講座(丸善、日本化学会編)アルケンを分担執筆した。同書は10年後との改訂しているが、今年はこの年にあたり、40ページほどの改訂を担当することになり、9月から1月まで苦しんだ。
 5)運営: 工学部に学部長を補佐する「企画室(学部長を含め4名)」がある。5月から前任の木島剛教授に代わって、担当することになった。また、博士に関連する業務・運営の中心となる博士後期課程運営会の委員長になり、社会人入学生の短期修了が可能となり、1年でも工学博士の学位を取れるようになった。このように大学運営に少し携わるようになった。
 6)大学改革: 今年10月に宮崎医科大学と統合して新しい「宮崎大学」になるのに伴い、大学院を改組することになり、当研究室は「生命科学研究科・生命機能科学専攻・生物機能科学講座」というところに参加することになっている。実現するかは未定であるが、従来の物質工学(応用化学分野)は、農工が主体となる「自然共生総合科学研究科・機能物質創生学専攻」および医・農が主体となる「生命科学研究科・生命機能科学専攻」の二つの専攻に分かれることになった。

 以上のことが、目立ったトピックスであるが、項目として括れないこともたくさんあった。これらすべては学生さんの日々の実験・労力に基づいて企画・デザインされたものであり、学生さんには大変感謝しています。特に、卒業・修了される皆さんは、1年間・3年間ご苦労様でした。”社会・他人に役立つ人・事”を心がけて精進してください。以上、まったくユーモアのないぼやきでした。


2003年1月13日(月)

オヤジギャグの効能:  最近、研究室でオヤジギャグを言っても、受けなくなった。限りなく50に近くなり、世代のギャップによる共通の話題が乏しくなったこともあるが、最近の学生さんはレスポンスがない。数年昔なら、ギャグの優劣に関わらず、「さむー」などの冷ややな中にもやさしさのあるオヤジを見る目があった。最近はまったくの無関心で「学生さんに取り付く島」がない。さて、こんな冷たくされてもオヤジギャグをいう必要があるのであろうか? 実は、これが化学研究の発想に大変重要な関係がある。
 最近の化学研究の動向は、新しい理論が発見されたと言うよりも、組み合わせが重要になっている。2002年のノーベル化学賞「生体高分子の同定と構造解析手法の開発」において、田中耕一氏が見出したMALDI-TOF-MS(マトリックス支援レーザー脱離イオン化−飛行時間型ー質量分析装置)も、従来の手法と田中さんオリジナルの技術の組み合わせであった。
 そこで、このような新しい発想に役立つのは、オヤジギャグ的思考パターンである。4文字、5文字からなるある言葉の一つまたは二つを変えて、他のものと関連させてストーリーを組み立てる。それも、会話の間を保てるわずかな時間内に考えるのが「オヤジギャグ」である。化学における発想も同じような思考パターンである。学会などである面白そうな話を聞いたとき、即座に自分の研究に利用できないか・関連づけられないかを判断することが必要になる。
 このような関連付けは、センスと訓練がなくては簡単にできるものではない。日常の生活において、常時オヤジギャグをぶっ放して、訓練しておくことが必要である。研究室のみなさん、50前後の脳みその退化と必死に戦っているオヤジの姿を暖かく見守って欲しい。


2002年12月4日(水)

第二創業:  先日のテレビで、第二創業のことが話題になっていました。第二創業とは、製造業が今まで新しい分野のことをはじめる時に、従来は、新分野を担当する新しい部署を作るだけで対処できていたものが、今は、会社全体で、もう一度、新しい会社を作るほどの改革をしないと対処できないと言う内容のことです。その時の極意は、1)今までの技術を生かす。2)すき間をやる。3)ネットワークを生かす。でした。
 さて、これを当研究室「株式会社 有機1研」に置き換えると、先代の志摩前社長が退任された、新社長のYが、大学改革の中で、生き残りをかけて改革に取り組んでいる。従来の「当て屋の光化学」から新分野に進出することを模索している。 上で話した極意に基づけば、1)従来技術=光化学、2)すき間=触媒、生命などの異種分野との組み合わせ、3)ネットワーク= 他の研究室、特に教官の出身母体との連携強化となるような気がします。
 大学は、今、改革で大変です。学生さんには、その辺の雰囲気が感じられないでしょうが、教官は苦悩しています。 現在の最も大きな関心事は、物質環境化学科の各研究室が、大学院博士前期課程で生命科学研究科(新)か、自然共生学研究科機能物質創生学専攻のどちらに所属すべきかの選択に迫られています。特に、その二つの境界領域にある当研究グループは「究極の選択」で苦悩しています。研究室の学生さんで意見のある方は、掲示板に書き込んでください。


2002年8月27日(火)

産みの苦しみ:  夏休みは、様々な課題をまとめる季節である。4年生の講座セミナー(文献セミナー)、大学院生の大学院セミナーでは、文献を読んで、その内容をまとめることが要求されている。私も、この夏は、多くの課題を手がけた。「21世紀COE」、「戦略的創造研究プログラム」などの申請書書き、環境クラスター大学でのグループ演習での提案書の作成、光触媒・光アミノ化反応・フラビン増感の論文作成などである。
 これらの共通することは、白紙の紙に字を埋めていくことである。単に字を埋めるといっても、書き写すのではなく、また問われた問題の答えを書くのではなく、書く内容も自分でデザインしなければならない。つまり、無から有を生み出す「産みの苦しみ」を経験することになる。木も草もない砂漠の真中に、一人放り出された様な気分になる。
 どうしたら、砂漠から抜け出されるか? まず、部品を集めることからはじめよう。砂漠に散らかっている木々や石ころを集めて、とりあえずの仮住まいを作るように、取り組める小さい事柄(文献の一部)をまとめる。これをとりあえず、5個ぐらい集めて、共通点を見つけて分類をする。次に、弱い部分を補強するような部品を集めてくる(文献であれば、関連する文献。)それを含めて、一つの分類したグループについてまとめる。細かいところは無視して大まかにまとめる。そのまとめ方が正しいまとめ方なのかをチェックするために、そのまとめ方で次のグループをまとめる。うまくつじつまが合うようにまとまれば、次にいく。もし、つじつまが合わなくなったら、最初のグループに戻って、違う観点からまとめ直す。この様にして、試行錯誤をしながら、砂漠を脱出していくことになる。
 なかには、その苦しみに耐えかねて挫折をしたり、あと一歩で投げ出す人もいる。しかし、これを切り抜ける能力を身に付けないと、「一皮向けた一人前の人間」にはなれない。途中で、誰かの作ったものを写して期日に間に合わせるのなどの帳尻併せをすると、何も身につかない。踏ん張るべきところは踏ん張って生き延びてもらいたい。


2002年7月19日(金)

説明しやすい研究としにくい研究:  先日、新聞に研究紹介をしてもらった。「当研究室で開発した触媒を使って蛍光灯を当てると大腸菌が死滅する」という内容であった。清潔意識の高い一般市民の人には身近に感じられたのか反響があった。学生実験中に女子学生の実験ノートに新聞記事のコピーが貼られていた。尋ねると「母が切り抜いて送ってくれた」とのことだった。また、家内の病院に付き沿った時、家内のカルテにその新聞の切抜きが貼ってあった。また、別の病院で、お医者さんが「いい仕事されていますね」と骨董品屋のような語り口で話をされた。その他にも、行きつけのスーパーの女主人から「あんた。大学の先生だったの!!」とビックリされた。その他にも、「新聞読んだよ」というメールが数件あった。
 しかし、我々のやっていることは全てこの様に説明しやすいことばかりではない。学生さんも実家に帰って「大学でどんな研究しているの?」と尋ねられても、説明できないと思う。「いろいろま混ぜて、光をあてるだけ。後は先生の言う様にやっているだけで、難しく分からん」といった所が普通だと思う。
 「説明しやすい研究=いい研究」ではないが、人に理解してもらおうとする努力は重要である。相手に正確に、誤解されずに、要領よく語る”術”を身に付けよう。


2002年6月19日(水)

天はニ物を与えず:  Wサッカーで、イングランドのベッカムの人気が高い。ベッカムはサッカーがうまいし、男前なので、”天が二物を与えた”と言う人もいる。先日、福岡で堀場製作所会長の堀場正夫氏の講演会があった。堀場氏の話では、「天はニ物を与えず」の本当の意味は、「天は人に必ず一物を与えている=どんな人でも必ずいい所が一つはある」という意味らしい。ベッカムでも、サッカーが上手でなければ、ただの男前のお兄ちゃんで、ベッカムには、前回のWサッカーの屈辱にめげずに、一流サッカー選手になろうとした精神力の”一物”が備わっているに過ぎない。
 大学生になれば、平均的な力を身につけるというよりも、秀でた所(セールスポイント)を伸ばす事が重要である。特に、就職ではそのような所を審査される。
 もう一度、自分の”一物”は何かを考えよう。


2002年5月17日(金)

最初で最後:  若いときは、同じことの繰り返しが多いので、この事はまた経験するだろうと思いがちです。しかし、実際のところ、同じことを二度経験することは長い人生でもほとんどありません。特に、人との関わりは、昔から一期一会と言うように、同じメンバーで、同じ若さでの行動は一回きりと思ったほうがいいでしょう。
 「もう1回チャンスがあれば、もっといい成果をのこせたのに」と、色んな場面で思います。しかし、再チャレンジして、いい結果が残せることはまれです。最初のチャンスに全力を出すことが最もいい成果を残せます。後で考えれば、「あの時がピークだった」と思うことの方が多い。チャンスは逃したら、もう二度と巡ってきません。若いときの経験は、何べんもあるとは思わず、最初で最後と思って、全力で取り組んで欲しい。今の私の立場では、実験に全力を注いで欲しい。朝早くから、夜遅くまで一つのことだけを考えられるのは今しかない。ワンチャンス。


2002年4月5日(金)

人生節目nの二乗則:  3月4月は節目の季節です。人生にも節目があります。数式で整理すると、n(n=0.1,2,3,4,5,6,7,8,9)の二乗の年齢、つまり、0,1、4、9、16、25、36、49、64、81歳の時に節目があり、節目と節目の間の年齢の人は考えや境遇が似ている同じ世代の人であると言われています。若い頃は、節目の間隔が短く、新しい事が次々と起こり、年を取っていくと、節目の間隔が長くなり、変化が乏しくなります。
 この「人生nの二乗則」は高校、大学、大学院、社会人などの学歴の節目に基づいているというよりも、体力・知力の変化、家庭環境の変化などの基づいて整理された節目のような気がします。高校生の16歳から社会人になってしばらくした25歳までの自分のことだけを考えればよいハッピーな時代、25歳から36歳までの結婚・子供などの人数が増える時代、36から49までの子育て・子供の教育などの子供が中心の時代、49から64までの子供が巣立ち人数が減っていく時代、64から81の定年後の静かな時代。
 私も、今年が49の節目の年齢になりました。あとは次の節目64歳に向かって”坂道コロコロ”とならないようにガンバラねば。 


2002年3月12日(火)

最終ランナーゴール:  昨年1月からスタートした「就職レース」では、トップランナーがゴールしたのは昨年の3月15日でした。それから、約1年たった昨日(3月11日)に最終ランナーがゴールしました。3月20日に卒業式を控えた門限ギリギリのゴールでした。これで、就職希望した人は全員完走することができました。昨年の秋頃からは就職レースに声援を送る人も少なくなり、Fさんの就職活動は孤独なレースであったと想像できますが、彼女はマイペースそのもので、こんな闘い方があるのかと感心させられることばかりでした。大淀川を渡ることは外国に行くようなもので、飛行機になって福岡・東京に行くことは宇宙旅行をするような彼女にとっては、何よりも地元優先でした。彼女の念願がかなって、地元に就職が決まり、意思を貫いたのは立派。これで、平成13年度の就職レースが幕を閉じました。


2002年3月1日(金)

環境にやさしく学生に厳しい光反応:  今シーズンの修論・卒論シーズンが2月一杯で終わり、研究室もポストシーズンに入りました。研究室のテーマのここ数年で様変わりして、大腸菌まで扱うようになりました。また、X線結晶構造解析も数年ぶりに復活しました。また、低環境負荷を目指した研究も多くなり、「環境にやさしく、学生に厳しい光反応」と言われるようになりました。
 いよいよ、これらの研究を支えてくれた学生も3月中には「巣立ち・旅立ち」をします。「実験技術を身に付ける、科学的な考え方を身に付ける、専門知識を身に付ける」など大学卒業・大学院修了生としての目的もありましたが、私としては、博士に対しては「段取りができる」、修士には「継続して一つのことに打ち込める」、学部生には「思ったことを人に伝えられる」能力が最も大事だと感じていました。そのために、大学の教授としてはふさわしくない様な言・やり方で注意をしました。どこまで、真意が伝わったことか分かりませんが、「親の説教と冷酒はあとで効く」と言う様に、宮崎大学の冷酒になれば、ありがたいことです。健闘を祈ります。40台最後の誕生日を明日に控えたオヤジのぼやきでした。



2001年 7大ニュース

 

 1. 研究テーマ:  今年は博士課程の安藤君がD4となり、博士号取得に向けて最終局面に入りましたので、余り得意ではない「アンチモンプルフィリンの化学」にタッチしました。お蔭で、その化合物の特徴や今までに理解できなかったことが見えるようになりました。各種研究会での成果発表では、積極的に「アンチモンポルフィリンの光化学」をご披露し、売り込みました。従来の光アミノ化反応を中心とする合成研究がその陰に隠れた様な形となってしまいましたが、光アミノ化の研究は「郵便局の定額貯金」の様な物で一つの財産です。アンチモンポルフィリンの化学およびそれに続く新テーマは一つの投資であり、大きな儲けも期待できますが、リスクもあります。一つの財産だけをにしがみついて、その利息で生きていくような研究スタイルでは、生き残れないと思いますので、財産のある内に新しいテーマの目を出す必要があります。

 2. 就職担当:  今年1年間、就職担当でした。学部学生卒業見込み者77名の内、大学院進学予定者29名を除く48名が就職対象者でした。その内は40名が企業および公務員に内定し(内定率83%)、残り8名が専門学校進学および未定となっています。女子の就職内定率が悪いと言われていますが、17名の就職対象者の内、15名が就職が決まり、1名が専門学校進学、1名が未定となっています。
 大学院生では、24名全員が就職対象者で2名を除いて内定しました(内定率92%)。これらの数字は工学部では最高値であり、おそらく大学全体でもトップの内定率だと思われます。各学生が早い内から就職活動に取り組んでくれたのが、功を奏したと思われます。就職活動をされた学生さん、本当にお疲れさまでした。

3.志摩健介名誉教授 光化学協会功績賞受賞:  2000年の9月の光化学協会総会(金沢市)で志摩健介先生が、光化学協会功績賞を受賞されました。この賞は今年度が第1回目で、光化学の発展に功績があった先生方に贈られるもので、全国で16名に先生方が受賞されました。志摩先生は1960年代の日本の光化学の黎明期に研究を始められ、オキセタン化学、カルボニル化合物の光化学、光電子移動反応と研究を展開されました。また、光化学に必要な水銀灯の設計や、研究手法を確立したことで今回の受賞になりました。長年研究を続けることの重要性を教えられました。

 4. 総説の執筆:  2000年の9月に大阪府立大学の水野一彦先生を経由してAmerican Scientific Publisher から Handbook of Photochemistry and Photobiologyと言う本の分担執筆を依頼されました。内容はPhotochemical Polar Addition (光化学的極性付加)です。英国王立化学会から出版されています「Photochemisitry」を第1巻から31巻まで読破しました。一週間に1冊のペースでも8ヶ月はかかることになります。引き受けてから約1年間、早朝の7時半から9時半までの2時間を、この執筆の時間にあて、来る日も来る日も作業を続け、2001年の年9月に脱稿をしました。執筆の最終段階では、志摩健介名誉教授にも手伝っていただき、図を博士課程4年の安藤義人君に手伝ってもらいました。感謝しています。まだ、原稿の段階で出版物にはなっていませんが、楽しみです。また、こうゆう作業を通じて大変勉強になりました。

 5. 共同研究:  平成10年度から開始された東洋検査センター・富士シリシア化学との共同研究が宮崎県のサポートで今年も継続されました。最終年度の今年は研究の進展が見られ、開発した光触媒が抗菌性や殺菌性を持つことが示されました。また、アンチモンポルフィリン錯体を委託合成によって85g合成することに成功し、Aldrichなどの試薬屋さんを含めても世界で最も多い保有量だと思われます。3月までの研究期間とその後の2年間のフォロー期間も頑張りたいと思います。

 6. 行事開催:  12月に文部科学省科研費の会合を宮崎で持つ機会を得ました。企画調査研究の代表者である大阪大学の真嶋哲朗教授のご指名により、宮崎で開催することになりました。22名の先生方が全国から会場のシーガイヤへ集まってくれました。大変良い機会を持つことが出来たことを感謝しています。これと連結する形で前日には光化学協会講演会「光化学と環境」を開催することが出来ました。光化学協会理事を2年間担当しましたが、これで、少しは責任を果たせたかもしれません。

 7. 有機化学:  今年度から、白上 努先生と共同して成績によるクラス分けをして講義を行いました。具体的には、有機化学1の成績が80点以上のアドバンスド クラス(Aクラス)と80点以下と再履修生で構成されるベーシック クラス(Bクラス)に分け、有機化学2の講義を行いました。Aクラスを白上 努先生、Bクラスを私が担当しました。クラスサイズが小さいので、親密感を持って講義が出来ましたが、習熟度や成績に反映されたかどうかは未知数で、成果がでるまではもう少し時間を要すると思われます。



2001年12月22日(土)

光化学の歴史が動いた:  12月21−22日に宮崎のリゾート地”シーガイヤ”で文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)企画調査第二回会合が開かれた。光化学および有機光化学分野では、近年新しい分野への展開が模索され、企画調査研究が行われている。光のもつ大きな特徴である「時間的制御」「空間的制御」の利点を生かして、分子デバイスがテーマの一つとなっていた。今回の調査研究は「人工生体分子デバイスの創製」であり、2日間の議論では、班員が本気でこのテーマに取り組んでいることがヒシヒシと感じられた。
 今回の会合は従来の会合の開催地である東京・大阪から遠く離れ、一泊どまりであり、また、全国有数のリゾート地で開催されたこともあり、班員の皆さんは精神的に開放されたのか、議論が白熱した。提案されたテーマに対して各自の従来の研究の範疇でビジョンを提案するだけでなく、将来を見据えた新しい捕らえ方をしていた。まさに、”日本の光化学の歴史が動いた”と感じた日であった。


2001年12月13日(木)

仮配生12名と忘年会:  今年もまた、仮配生配属の季節になりました。今年は12名(内、女子3名)を新たに研究室に迎えることになりました。これで、卒業生・修了生が研究室を去る3月までは、学生総数38名の大所帯になります。今日はそのほとんどが参加する大忘年会の日です。研究は人・物・金、つまり研究者・設備・資金が揃って、良い研究ができると言われます。その中で最も大事ものは”人”だと思います。学生さんが多いと、目が行き届かず、しっかりとした指導が出来るかどうかと言った心配がありますが、学生が多いと言うことはよいことだと思います。仮配生にはこれからどんなドラマがまちうけているのでしょうか。IT不況、タリバン不況と新たに思わぬ要因が増え、来年度は昨年以上に就職受難の年になりそうですが、連絡を密にして乗り切りたいものです。


2001年10月11日(木)

身近になった大リーグとノーベル賞:  昨日、日本人3人目の”ノーベル化学賞”に名古屋大学大学院の野依良治先生が決まった。昨年の白川秀樹先生についで、日本人2年連続の受賞となる。同時に、昨日からは大リーグではワールドシリーズ予選が始まり、相変わらず、イチローが活躍をしている。大リーグもノーベル賞も、一昔前は日本人にとっては遠い世界の話のように思えていたが、今年は身近に感じられる年になった。日本人も名実ともに世界レベルになった。
 これを我々の立場に当てはめてみると、宮崎で光っておれば、中央でもそこそこ頑張れることを意味しており、学生さんも宮崎だからと萎縮することなく、大きなことを目指して頑張ってほしい。そういう前に自分も頑張らなくてはいけない。

(野依先生の研究の簡単な紹介)
 本研究室の学生のために、野依先生の「分子触媒による不斉合成」の研究を解説する。不斉炭素(炭素の周りの4つの置換基が全て異なる炭素)を持つ化合物には二つの立体異性が存在する。通常の人工的合成では、両方の異性体が1:1の割合で合成される。その内、一方の立体異性体だけを合成することを”不斉合成”という。従来、人工的な不斉合成は不均一系(固体と溶液の二相系)で行えても、均一系(溶液)では難しいとされていた。野依先生は世界で始めて均一系で不斉合成に成功した。その中で,BINAP(ビナルチルホスフィン)配位子を持つ金属(有名なものはロジウム)錯体を用いた水素添加還元反応では、驚異的な不斉収率で不斉反応に成功しおり、その後、多くの研究者がこの分野の研究を開始している。


2001年9月30日(日)

マラソンと研究:  私の趣味はジョギング。40代後半の親父には、安上がり、健康という点で相応しい趣味と思っている。秋からのマラソンシーズンに備えて練習に勤めている。走りながら、考えることがある。「研究(仕事)もマラソンも結果(論文)を出すためには、日々の積み重ねが大切」、「今日の努力が明日の1分短縮」。
 去年の9月から「Americam Scientific Pressの総説」を執筆しており、今日がその原稿の締切日。1年かけての過去の文献調査は長丁場で、フルマラソンをしている時の気分を何回か味わった。同じ事を長時間続けると「物事の本質」が見えることがある。昔の人がいいました。「読書百篇(ひゃっぺん)、意おのずと通ずる=あることが理解できなかったら、そのことを繰り返しやっていると、自然と理解が深まると言う意味」。


2001年8月20日(月)

二つのインターシップ: 最近、企業からのインターンシップの申し込みが多くなっています。経済産業省・九州経済産業局等の行政機関が政策として積極的に推進していることがその背景にあると思われます。私個人および研究グループとして、以前から宮崎県を代表する化学企業である「旭化成延岡事業所」とコンタクトを密にしたいと考えていました。そのために、地域共同研究センター時代から「旭化成から客員教授を採用する」、「旭化成グループと共同研究を行う」などを行ってきました。お陰で「旭化成グループの方々と面識が深くなりました。その成果かどうかは分かりませんが、今年度になり旭化成から「延岡事業所で宮崎大学を対象にしたインターンシップを行いたい」旨の申し込みがありました。このインターンシップには本学から3名の学生が参加しました。本研究グループからはM2の清水雄一郎君が8月20日から参加しています。また、この日から八代工業高等専門学校の4年生がインターンシップ(本学の取り扱いは体験入学)のために当研究室へ2週間滞在する事になりました。二つのインターンシップが同じ日からスタートしたわけです。“これからの大学は一つの組織内の活動だけでは生き残れない”を予感させられた一日でした。


2001年8月6日(月)

役割分担: 当研究室は24名の学生がいますが、スタッフは2名しかいないために、多くの役割を学生に分担してもらっています。学生に「すべてを任せられるもの」、「ほとんど任せられるもの」、「すべてチェックが必要なもの」など仕事内容にはグレードがあります。「すべて学生に任せられるもの」に夏の研究室旅行があります。今年の担当は二人の女子学生でした。旅行の当日まで全く内容が分かりませんでしたが、予想以上に立派な小旅行でした。彼女らの普段の就職活動・研究発表から想像できない企画力を垣間見ました。「仕事を他人にどれだけ任せられるか?」が管理者としての能力が最も問われる事だと思いますが、良い勉強になりました。これで、私の人生観も少しは変化するのでしょうか?


2001年6月6日(水)

研究と就職の板挟み: 今週から九州南部が梅雨入りをしました。2月から始まった学生の就職活動が、梅雨を迎えた今でも続いています。1ヶ月に10日以上研究室を留守にすることは当たり前で、その合間に、卒論・修論の研究をしてもらっています。この時期は、就職と研究を両立させることは、至難のようです。また、6月は秋の学会の申込の締め切りのシーズンでもあり、少ないデータでも、学会に出さなくてはいけない板挟みに合っています。現在、就職内定率は、学部と大学院を合わせて28人で就職希望者の約半分です。まだまだ就職戦線は続きます。

4年生正配生15名:  今年の研究室への配属生が15名(内、過年度生3名、女子学生3名)になりました。これは、今までで最も多い人数です。果たして、みんなに目が行き届くか心配です。白上努助教授と一緒に出来るだけの指導をしていきたいと思っています。


2001年2月9日(金)

就職担当: 工学部物質環境化学科2002年春卒業生・修了生の就職担当教授になりました。初めての経験であり、少しでも「良い」企業に入社できるように努力するつもりです。早速1月26日に対象者を集めた「就職・進路ガイダンス」をしました。また2月2日までにM1全員の面談を行いました。また。今日は、現3年生の就職希望者の面談を行う予定です。「先手必勝」を合い言葉に、学生には就職活動に出来るだけ早く取り組んでくれるように指導しています。このホームページを見た方で求人がありましたら、ご連絡下さい。

仮配生: 本学科では学部3年生の12月に各研究室に仮配属しています。教養科目と実験をすべて取得し、一定以上の講義の単位を取得したものに対象としています。2000年12月には、過年度生も合わせて70名の学生が仮配属になり、当保田・白上研究グループには13名の学生がやってきました。12月から1月にかけて基本的な装置などの使い方をマスターしてもらい、2月に入って卒研のテーマを決定し、卒業していく学生から細かな実験手法の伝授をしてもらっています。少しでも多くのことを学んでもらって、会社および研究活動で役立つ人材に育ってもらいたいと願っています。


2001年1月5日(金)

同窓生の皆さんへの新年のご挨拶 あけましておめでとうございます。保田昌秀です。昨年の志摩先生の退官パーティには113名という大勢の門下生の方々がお集まり下さりありがとうございました。昨年11月から志摩先生の後を引き継ぎました。今まで通り継続して今までの研究室同窓生の会を継続していくつもりですので、よろしくお願いします。年末は28日午後から休みに入りましたので、研究室を訪ねていただいた皆さんにはお会いすることが出来ず失礼しました。宮崎へお越しの節は気軽にお立ち寄り下さい。今年も皆さんの願いが一つでもかなうようにお祈りします。

研究室の皆さんへの新年のご挨拶: 新しい年を迎えました。特に今年は21世紀最初の年に当たり、色々と節目節目と言われています。とはいっても、時は一定の間隔で刻まれ、いつもとは変わりのないルーチンの仕事が始まろうとしています。1月2月は卒業研究・修士論文のまとめの季節です。ようやくまとめる季節になって「自分のやっていたことがどういう意味を持っているか理解できた」という学生さんが毎年います。研究室のみなさんは「いい加減なデータではなく、普遍性のある後になっても使えるデータ」に仕上げてください。単調な作業の繰り返し・積み重ねの中で新しいことが生まれると思います。「あわてずおくれず」の精神でコツコツと努力してください。仮配生の皆さんは先輩の良いところだけを吸収して装置の使い方・実験の仕方を覚えてください。1年は短いです。1月から全力疾走をするつもりで1年間を走り抜いてください。「力をセーブして、後半にスパート」と言うわけには行きません。


2000年12月12日(火)

 今年もあとわずかになりました。研究室の1年を重大ニュース的に振り返ってみたいと思います。

 1. 志摩先生の退官:  3月に志摩先生が定年退官されました。いつかはこの日が来ることが分かっていましたが、残念な気持ちでした。その半年ぐらい前の11月頃から志摩先生の退官行事のことを年輩の同窓生の人と相談を始めました。その、また半年前の99年の4月頃から白上 努さんと相談を開始し、退官前の3月までに学科主催の最終講義などの行事があると思われるので、研究室の行事は退官後にした方が良いと考え、6月に同窓生主催の退官行事、それより前に大阪で囲む会の計画をたてました。退官パーティーには100人以上の方の参加があり、会計的にも赤字も出ず、盛況だったことをうれしく思いました。特に満永さん(沖電気宮崎)には何遍も研究室まで足を運んでもらい、感謝しています。

 2. 学生さんの就職:  今年は早い内から就職活動に取り組んでくれ、例年になく安心な年でした。今年は初めての試みとして、12月8日に就職活動経験者による研究室内レクチャーを開催しました。来年には就職活動をする学生さんによりはやく就職活動の厳しさや苦労を分かってもらうための物です。一度就職活動を経験した学生の話には、重みがあり就職担当の教官がいうより大きな効き目があったように感じました。また、それを説明する学生は、研究室のミーティングの時の話し方とはうって変わって、自身に満ちたものであり体験より強いものはないと感じました。来年就職活動をする人も頑張って欲しいと思います。

 3. 教授昇任:  今年の11月1日に教授に昇任させてもらいました。宮崎大学へ赴任して17年目のことです。3月に地域共同研究センターから工学部へ配置換えになりましたが、その前の5年4ヶ月間工学部を離れ、地域共同研究センターで産学連携の仕事をしていたので、少し不安な所もありましたが、無事に帰還・昇任できて安心しました。早速、11月11日に白上 努さんおよび研究室の学生さんで祝賀会をして頂き、感謝しています。同時に宮崎大学の17年間を随筆風にまとめた「アミノ化物語」という冊子を作り配布しました。卒業生からの反響はあまりありませんが、研究でつながりのある先生方からはメッセージを頂き感謝しています。

 4. 共同研究:  平成10年度から東洋検査センター・富士シリシア化学との共同研究が宮崎県のサポートで開始されました。実質は今年に入ってからの活動で、光機能材料の研究です。コンスタントに1ヶ月に1回のミーティングを行い、研究は大きな問題もなく進んでいます。来年度も継続される予定です。これに伴って、初めて特許を二つ申請することに成功しました。また、企業との研究の仕方・付き合い方について勉強させていただいています。

 5. 研究の進展:  光化学を中心に研究分野を開拓しようと思っていますが、目新しいデータが出ず、空回りの状態です。ここで踏ん張って、形のあるものを残さないと大変だと思っていますが、ぬかるみで足踏みをしているようです。特に「水を嫌う反応の仕方」「濃度の設定」「操作の意味」など基本的な実験操作の習得に欠けており、学生さんに対する指導不足もあると思い反省しています。休日返上で実験する学生も少なくなってきました。これも「研究の目的」「研究の重要性」についての説明不足だと思います。何故、学生を指導する時間が少ないのでしょうか?まず、会議が多すぎることが上げられます。もっと効率のよい大学運営を行わないといけないと思います。また、学科のスタッフが充足していないので、講義も担当数も多いのも原因ですが、これは仕事ですから仕方がありません。

 6. 高校・中学校の先生との交流:  化学(理科)を教える先生方の懇談会があり、それに参加する機会が多くなりました。6月には県北の門川まで行って中学生の生徒にマンツーマンで実験を教えました。私は二人の女子中学生のお相手をしましたが、生き生きと実験している学生には感心しました。「誰でも小さいときの関心の持ち方は違うなー」と大学生と比較してしまいました。12月の高校生に対する化学講演会では、「どんぶり勘定の化学」と題して講演を行いました。反響は大きく、質問に対する返事書きに時間がかかりました。

 7. 有機化学:  今年度から、今まで志摩先生が担当していた「有機化学1,2(必修)」を担当することになりました。必修ですので、何とか全員を理解させようとしています。「中間試験をする」「毎回行っている小テストの成績で、悪かった人を前に座らせる。」「内容を簡単にするために教科書を概説に変更。」など手を打っていますが、成果が出るまでは時間がかかりそうです。有機化学で割り当てられた「有機化学1」「有機化学2」「物理有機化学」をフルに活用してYasuda World を作って私の教授術を全開したいと思っています。

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