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研究内容

2013/07/07

サラマオマス(台湾マス)系統のヤマメ(サクラマス)は九州(日本)には分布しないの? 



州地方には、瀬戸内海に河口を持つ大分県のアマゴ域を除き,基本ヤマメが分布することになっている.また,亜熱帯域の台湾には亜種とされる陸封されたサラマオマス(台湾マス)が分布し,更新世には9回以上の氷期の存在が知られる。サクラマスのパイオニアの系統は降海後,おそら氷河期が緩んで対馬海峡が大きく開いた時、その時期は不明だが、台湾海域まで一気に進出し,台湾の河川を遡上したものと判断される。陸封された系統の末裔が現在のサラマオマスで、その系統が偶然にも生き残って台湾に分布するようになったと推察される。

従って,間氷河期には,各氷河時代に繁栄したヤマメの系統がレフュージアとして九州の諸河川上流部にその都度陸封され,時代の異なる遺伝系統が河川上流部で生き残ってきた可能性が示唆される.アメマス(イワナ)よりも降海すれば行動範囲もダイナミックで、おそらく回遊範囲は広いと推察されるので、多くの系統が九州には存在してもおかしくない。更に、アマゴとヤマメの区別点は体側の朱赤点の有無だけしか、従来検討されてこなかった。多くの研究から最近かなり遺伝的にも異なっていることが分かってきた、未成魚時に朱赤点を持つビワマスの先祖や、サツキマス(アマゴ)が、九州地方において優占域(分布)だった可能性も考えられないこともない。

また、日本の南部である九州には
高温に耐性のあるヤマメの存在の可能性も有り、近年の温暖化の中で養殖種苗として、九州産は今後一考に値するかも知れない(宮崎水試、稲野氏による私信).これらは遺伝学的解析なしには明らかにならないし、九州の本来の在来であるエノハやマダラと言われてきたサクラマスの遺伝系統も十分今後解明される必要があろう。
 
上記の考えの中で、九州はヤマメ域の川であるが,アマゴの放流が無い川なのに朱赤点を持つヤマメが昔から比較的多く、九州各地の河川で知られている。それらは単にヤマメ域と考えられる河川に誰かが個人的に、また漁協が意図せずアマゴが混ざってしまい、そのアマゴが放流されたために、雑種を形成を起こし、朱赤点のあるヤマメ(?アマゴ)が見られるようになったと即断、あるいは単純に判断して、十分検討されずに扱われてきたものも多いように思える。

しかし、内水面組合の詳しい聞き込み情報から、全く放流実績がなく,天然の滝や人工井堰等で分断されている上流域で,朱赤点のあるヤマメの存在が各地元の古老などの話や、個人的な釣り仲間でも、更に釣り雑誌や本、あるいはネット上でも九州ではあちこちで、養殖の放流もままならぬ時代から知られている。単に日本海側の山陰地方のヤマメ域にアマゴが放流されると朱赤点を持つアマゴが普通に見られるようになる。これは養殖場の実験でもそれらの子供は朱赤点を持つようになることは昔から多くの実験で知られている。しかし、関西の日本海側で渓流釣りしてきた私からみると、本当にアマゴが放流された場合は、本流筋で普通にアマゴ釣れるが、九州の場合、河川のある谷の源頭の源流部にのみ見られることが多く(下流ではヤマメが大量に放流されている)、そのような谷では、微妙に小さい、あるいは褐色にぼけた、あるいは滲んだような朱赤点を側線近くにのみ持つことが多い。決して体側面に一杯朱赤点があるようなアマゴではない。それらはランダムにあちこちの大河川の一部の水域でみられ、放流がない、あるいは放流ものが上がれないような源流部の井堰や滝上にそのようなヤマメ(?アマゴ)が見られることも多いように見受けられる。また、春雨の豪雨の後にも本流部でみられることが多いように思える。

更新世には9回以上の氷河期により、間氷河期には各時代のヤマメの異なる系統がレフュージアとして九州の諸河川上流部にその度陸封され,遺伝系統の異なるものが河川上流部に九州にはランダムにあちこちで生き残った可能性が十分考えられ、それらは不思議とは思えないし、その方が自然な事実や考えであったように私には思える。とても2系統のヤマメとアマゴ(大分県)のみだったとは思えない。

元々九州は、朱赤点のある古瀬戸内湖と言われる玖珠盆地からビワマスに近い、ビワマスの先祖の系統と考えられる化石が出土している(大江、1982)。ビワマスは朱赤点を持ち、海に出なくて、淡水の湖で閉じ込められ独自に進化して現在に残った。一方、降海型であるサツキマス系統は広く日本列島の本州関東近辺より南の太平洋岸、四国、及び広く九州にも繁栄、占有して分布していたが(?台湾も)、時期は不明だが氷河期が緩み始めて、間氷河期になって海面が上がり始めた頃、対馬海峡が開いたときに、日本海側で繁栄していた朱赤点をなくす方向で進んで、大繁栄している現在のサクラマス系統が、台湾水域まで一気進出し、生き残ったのが、現在のサラオマスではないかと考えられてきた(大島,1957)。本州太平洋岸では関東の酒匂川当たりまで南下に成功し、繁栄したサクラマスがその前に繁栄していたサツキマス系統を駆逐したのであろう。

しかし、台湾まで進出したサクラマスは最終氷期から現在の間氷河期になり多少温暖化傾向になると、繁栄したサクラマスは南九州を時計の左回りに九州南端越えて回遊して、九州で繁栄していたサツキマス系統と拮抗し、瀬戸内海へ最後の縄文海進が進み、完全に暖かくなる前にサツキマス(アマゴ)の優先していた水域に入り込み、追い出したか、多くは雑種形成して取り込んでしまったか、圧倒的な数からアマゴを駆逐した可能性も推察される。

また、サクラマスは本来サツキマス系統から朱赤点をなくす方向に進んだ新しく繁栄した系統と考えれば、九州のヤマメは本来持っていた朱赤点が先祖返りとして?アマゴが持つ朱赤点として見られるのかも知れない。この当たりは遺伝学的な解析から検証できるとおもしろい。従って、本来九州は、概ねサツキマス(アマゴ)の水域であったが、最終氷期の後、ゆるやかな温暖化の中で北へ回帰するサクラマスによって九州地方は繁栄していたサツキマスからサクラマス集団に置き換わった可能性も十分考えられる。その拮抗の境界域が、現在の豊後水道であろう。そのため四国では最初に居着いたサツキマスがそのままサクラマス系統の侵略をあまり受けず分布するが、九州では大分を除いてサクラマスに置き換わったが、元々朱赤点を持つ遺伝系統だったので、あちこちで変な?アマゴのヤマメが見られるものかもしれない。今後の遺伝学的な研究がその答えを導いてくれると信ずる。

ところで台湾のサラマオマス(台湾マス)の原記載には、昔から気になっていたのだが(下記の赤字の記載参照)、体側の赤点が輸送中に消えていったとする記載がある。ムムッ、それならアマゴじゃないか(笑)? しかし、というか、その後のサラマオマスの研究者の記載では、体側の赤点の記載や報告は全くない。何かおかしいじゃないか? この記述がこれ以降、アマゴだったという考えを生み、戦後多少混乱していた。その後の調査では朱赤点は無かったと記されている。

更に驚くことに、Behnke et al (1962) は、台湾産の標本を調査して、台湾のサラマオマス系統は複数種の存在の可能性を訴えた論文を出していた。こうなってくると、別の考えが浮かんでくる。現在のサラオマスは殆ど朱赤点を持たないが、当時はまだ複数系統(?アマゴ、?ビワマスの先祖の?ビワメ、現在の生き残ったサラマオマス)が生き残っており、本当に朱赤点の持つクエスチョンのアマゴ、あるいはヤマメの先祖返りの微妙な朱赤点を持つヤマメががいたのではないかと。

更に、王天送さんは、現在知られる大甲渓以外でも南部の向陽山(3,600 mm)の西側に流れる荖濃渓東流の源流で1943年4月にブヌン族の若者が2尾捕獲したヤマメを確認し、戦後再確認するため調査を行ったが、発見出来なかったことを機関誌、淡水魚保護の創刊号に記している。台湾に複数種の系統が昔にいたとしてもおかしくない。

所謂現在で言うところのそれらは記載から判断すると亜種レベル(あるい型か、さもなくば異なる遺伝系統のハプロタイプ)だろうが、その後激減して、台湾大甲渓の約5kmの区間に数百尾位まで減ったということから、他の系統は本当に絶滅したのかも知れない。

朱赤点の記載はその後、あまり聞かないので、また単にred spotsと書いているので、朱赤点は太平洋岸の河川で知られる日本のアマゴのような体側全体に広がる多くの朱赤点ではなく、朱赤点の数は沢山でない可能性が有る。ひょっとするとこれは、昔から日本の九州の各地の河川の源頭で知られている九州で言うところの、アマゴの放流実績の無い、微妙なぼけた、あるいは小さな朱赤点を持つヤマメと一致するかも知れない。もちろん、ヤマメ域にアマゴを放流されて雑種が生まれるし、あるいは人工的に受精させても体側に中間的な数で朱赤点が出てくるので、もちろん区別する必要がある。

佐藤成史(1998)氏は、限りなくヤマメに近いアマゴ(岡山県美作地方)と、ヤマメとアマゴの境界領域にあたる神奈川酒匂川の近隣河川での朱赤点の有る無しのものや、微妙な朱赤点の存在の程度、その変異、あるいは小黒点やパーマークの変異について興味深い記事が掲載されている。つまり、大分を除く九州を含む境界領域には、両亜種の拮抗地域なので、変な?アマゴも多いのかも知れない。これは、佐藤氏ほど吟味したわけではないが、九州の境界近辺の大分の番匠川や宮崎県北部の五ヶ瀬川水系では同じような傾向があるように思える。

形態や色彩と、その遺伝系統とその色彩パターンの詳細な関係については十分研究されてないので、現在のところ明確には何も言えない。しかし、イワナにはある程度の色彩パターンと遺伝系統が見られるので、ヤマメとアマゴにも朱赤点の有無の他にも何か色彩(パーマーク、小黒点、小黒斑点)や形態に違いがある系統が存在すると信じたい。

さてこのよう考えると、アマゴの放流実績の無い、微妙なぼけた、あるいは小さな朱赤点を持つヤマメの噂のあるヤマメ(意外と多く聞かれ、九州の東西の諸河川)の遺伝系統を、自前あるいはアマチュアの渓流師の力を借りながら、ローラー作戦であちこち各県2河川位以上を選び、情報のあるところから採集して調査すれば、?ビワマス系統(淡水湖がないので、?ビワメか)、サラマオマス系統、あるいは未報告の遺伝系統(九州からのみ見られるものや、エノハやマダラに相当するヤマメ)は、九州からみつかってもおかしくないのではないか思っている。

数年前からサンプルを集めだし、実をいうと近々概要の結果がでるかも知れない。概ね九州県内の情報を集め、サンプルも入手出来てきたので、一気に現在分析している。プライマーも開発してミトコンドリアのCytochrome bという全領域を一気に(1141 bp)研究室で分析できるようになった。これら解析結果がたのしみである。この秋(2013)の宮崎で開催される魚類学会(宮崎観光ホテル: 10月4-6日→大会委員長 岩槻幸雄)に間に合えばと思っている。

ところで、台湾サラマオマスの特徴は、安江安宣氏(1982)により淡水魚保護協会の機関誌淡水魚の増刊号で報告されています。次の様にひとこと記述している。

「ただサラマオマスの体側に散在する小黒点数は異常に少ないことをこの際強調したい。」

これらの特徴をもったヤマメは九州でも確かに時たま見かける。私がそれらの標本の写真をみたところ、安江氏の上述点に、次の点を付け加えたい。腹部の小黒斑点が全くない。しかしこの特徴を持ったヤマメも九州では見る事が出来る。

またよく見ると体側中央のパーマークの上に不明瞭だが、パーマークが平行に2列に並んでいるようにもみえる。これはかなり特異的な特徴とも言える。これも実際九州で見かける。この特徴は、沈世傑(1992)の台湾魚類誌に使われているサラマオマスの写真(図32-8)にも、その2列の特徴はでている。しかし、こちらは腹部には明白な小黒斑点があり、上述の調査された昔の標本の記載と一致してない(笑)。

混乱してはいけないが、側線より上の背部の明瞭な小黒点である安江氏の言うコントラストの強い小黒点ではない。パーマークと同じ濃淡である小黒斑で、腹部の散在の仕方で、小黒点と私は区別している。この側線より上の背部の小黒点は成長すると個体で数が増すように思えるが、殆どないのも九州で見かける。九州のこのような特徴を持つものは、台湾サラオマスの遺伝系統とどの程度遺伝的に近いのか今後調べて見たい。

いずれにして、九州北部でエノハ、南部ではマダラと呼ばれることが一般的に多い。後者は体側中央のパーマークやそれ以外の小黒斑点についての呼称と思われ、この地域の特徴が呼称名となっているとも言える。

佐藤成史(1998)氏は、知人の情報から九州のマダラについて記し、実際に九州に宮崎県の大淀川水系の上流部には、マダラのマダラらしい腹部の小黒点(私は小黒斑点として)を持つ魚として、これぞマダラとしてその写真を掲載している(p.41上部)。しかし、この腹部の小黒点(私は小黒斑点として区別、上述)の無いものや、少ないものも南九州に結構普通に同じ谷でも実際みられる。谷内でも変異が大きく、多い少ないの傾向はそれぞれの谷に確かにあるが、最終的に解決するには色彩と遺伝学的解析の相関の検討が必要であろう。


Jordan & Oshima (1919) のサラマオマスの原記載


 Saramao is located in the middle part of the Island of Formosa just on the summit of the central mountain range. Until now there was no record in Formosa with regard to the occurrence of salmon or trout, even in the mid- stream or estuary of Taiko River. It is said, however, that the aborigines who live in the vicinity of Sara-mao occasionally catch a trout-like fish which they value as food. By the courtesy of Mr. Tomomatsu Tsusaki, policeman at Shikikun, Mr. Oshima has received the present specimen of the species. According to his statement, it was caught by a native and was for-warded to the Police Station at Shikikun in October, 1918. As the method of preservation was not satisfactory, almost all the markings had disappeared when the specimen was received. There is no doubt that it was actually taken in Formosa because of the presence of red spots on the back which vanished gradually and of the fresh state of the specimen when it was forwarded to the GovernmentInstitute of Science in Taihoku.

「なぜかというと、背部の赤点は、消えていき、台北の政府の研究所に輸送されるまでその標本は生の状態だった。→暗に日本から持ってきたものでないと言っている。

アマゴの放流実績の無い、微妙なぼけた、あるいは小さな朱赤点を持つ在来ヤマメと考えられる情報を提供してくれる渓流師(たにし)の方は、下記に連絡してもらえるとありがたい。また、サンプルあるいは脂びれを寄贈してもらえるなら非常に嬉しいです。

脂びれ(ハサミで切除)や尾鰭、臀鰭の一部(5mmx5mm)もあればすぐ分析できます。協力してもらえる人は、下記の通りです.ご連絡していただけるとありがたいです。

連絡先: 
〒889-2192 〒889-2192 宮崎市学園木花台西1-1
宮崎大学農学部海洋生物環境学科         岩 槻 幸 雄(いわつきゆきお)
TEL 0985-58-7222; FAX 0985-58-2884 E-mail: yuk@cc.miyazaki-u.ac.jp

文献
  • 佐藤成史 1998. 瀬戸際の魚たち 釣り人社 東京 285 pp. 
  • Behnke, R. J., T. P. Koh and P. R. Needham Status of the Landlocked Salmonid Fishes of Formosa with a Review of Oncorhynchus masou (Brevoort) Copeia, Vol. 1962, No. 2 (Jul. 20, 1962), pp. 400-407.
  • Jordan, D. S.  and M. Oshima  1919 Salmo formosanus, a new trout from the mountain streams of Formosa. Proceedings of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia v. 71: 122-124.
  • 大江. 1982. 日産サケ科魚類の化石について 淡水魚増刊 ヤマメ・アマゴ特集 pp148-154.
  • 大島正満 1957 九州に於けるヤマメとアマゴの分布 動物学雑誌 66(1):1-24.
  • 安江安宣 1982 V. 研究報告 台湾大甲渓源流のサラマオマスの特異性淡水魚保護協会の機関誌淡水魚の増刊号 143-147.

 
 
 
 
宮崎大学農学部 宮崎大学農学部生物環境科学科 水産科学講座