現代に生きる私たちが、「食料を獲得する手段=農業」ということに疑問を持つことはまずありません。しかし、採集狩猟によってその日や数日間の食料を手入れる知識と技術を究極まで高めていた私たちの遠い祖先の目には、農業は、数ヶ月もの間、植物の世話をして、うまく育てば食料が手に入る方法であり、賭け事にも似た印象だったことと思われます。
事実、東アジアにおいて人が野生イネで出会ってから今日の稲作の原型と言える稲作農耕社会が成立するまでには5千年くらいの時間がかかっているようです。しかし、こうした変化が具体的にどのようなプロセスで進んだのか、特に、イネが植物質食料の一つにすぎなかった段階から食料の中心・主役へとどのように変化してきたのか、その解明が待たれるところです。
そこで、私たちの研究計画では、新石器時代における野生イネの利用から農耕社会の基盤となる水田稲作の確立に至る発展過程の解明に以下の2つの視点から取り組みます。
1.「作物としてのイネの性質の変化」
2.「食料としてのイネの位置づけの変化」。
1.については、現生のイネと遺跡から出土する植物遺体の形質や遺伝情報の比較分析、イネの細胞の微化石(プラント・オパール)の分析で明らかにしていきます。
2.については、新石器時代の各時期を代表する遺跡での水田の立地条件、規模と生産性についての調査分析(微地形分析、堆積相分析、プラント・オパール分析)、そしてイネ以外の主要な植物質食料の利用状況の調査(デンプン粒分析、石器の使用痕分析)によって解明していきます。
調査は、浙江省湖西遺跡(上山文化)、田螺山遺跡(河姆渡文化)、良渚遺跡群(良渚文化)、上海市広富林遺跡(広富林文化)を中心として行う予定です。
これらの2つの調査分析と他の計画研究の成果を統合することによって、新石器時代における稲作と社会との関係性がより明らかになることが期待できます。